今回の水滸伝はいつもよりファンタジー色が……いや、水滸伝をどうにもファンタジーの部類にしてしまっている張本人……人、人かな……?と、どうにも説明が難しい登場人物の一人、九天玄女についてのお話を少々致しましょう。突如水滸伝の舞台に現れる天女、彼女の目的は?そもそも何をしに現れたのか?元は一体どんな役割を持った存在なのか、そこまでしっかりお話いたしますね。
この記事の目次
- 水滸伝に突如現れる女神「九天玄女(きゅうてんげんじょ)」とは?
- 道教における最強の戦神・九天玄女の基本プロフィール
- 泥臭いアウトロー群像劇に神様が登場する「唐突さ」の正体
- 「あれ、読む本間違えた?」初心者が必ず陥るジャンルの錯覚
- 宋江との運命的な出会い(還道村の奇跡)
- 絶体絶命!追手から逃れて古廟(こびょう)の厨子に隠れる緊迫のシーン
- 夢か現(うつつ)か。青衣の童子に導かれて出会った女神の姿
- 梁山泊の絶対的スローガン「替天行道(天に替わって道を行う)」の誕生
- 女神が授けたチートアイテム「三巻の天書」の謎
- 「天機星(呉用)以外に見せてはならない」という厳しい条件
- 【考察・主観】天書は本当にあったのか?宋江の「政治的ハッタリ説」を疑う
- 再びの降臨!遼国討伐における九天玄女の救済
- 梁山泊軍を全滅の危機に追いやった遼国の魔法陣「太乙混元陣」
- 夢枕に立つ女神。無敵の陣を破るためのピンポイントなアドバイス
- 困ったときの女神頼み?RPG的「ご都合主義」すら愛おしい展開
- 史実・中国神話における九天玄女の実像
- 作者(施耐庵)はなぜ、数ある神様の中から彼女をチョイスしたのか?
- なぜ水滸伝という物語に「神の介入」が必要だったのか?
- 単なる「山賊の集まり」を「天命を受けた軍隊」に昇華させる正当化の装置
- 罪人だった宋江が、108人の絶対的リーダーになるための「大義名分」
- リアリズムとオカルトが平然と融合する、中国古典文学の底知れぬ魅力
- 三国志ライター センのひとりごと
水滸伝に突如現れる女神「九天玄女(きゅうてんげんじょ)」とは?
九天玄女は、「きゅうてんげんにょ」と読みます。ここでは九天玄女と称しますが、話によっては玄女表記、もしくは九天玄女娘娘と称されるなど、色々な読み方をされる女神さまです。中国神話に出てくる女神であり、道教の女性の仙人で、この「玄」という文字には「黒」という意味があることから、玄女という名は「黒い女」ということを意味します。分かりやすく言うと「玄」人の、黒ですね。
道教における最強の戦神・九天玄女の基本プロフィール
この九天玄女、道教における女神ではかなりの高位存在。なんと西王母に次ぐ存在とされ、副官として英雄たちを守護し、導く存在でもあるとてもありがたい女神様。司るのは戦術、そして兵法、つまりは戦女神ということになりますね。ただ九天玄女は戦いの女神というだけでなく、正義の女神という両面の存在をもった神なのです。
泥臭いアウトロー群像劇に神様が登場する「唐突さ」の正体
そんな九天玄女、如何にして水滸伝に出てくるかと言いますと。いきなり出てきます。本当にいきなり出てきます。こういう女神って何かこう……物語の最初に存在が示唆されたり、最初にこういう女神がいて~……みたいに説明があるものだと思うのですが、水滸伝では「九天玄女については知っているね?」みたいな話のノリで急に出てきます。このため、水滸伝読者を混乱させる要因の一つとなっているのがちょっと面白い所。
「あれ、読む本間違えた?」初心者が必ず陥るジャンルの錯覚
しかも最初にではなく、話の途中で出てくると言うこともあって、読者がより混乱してしまうのもポイントでしょうか。ここまでいくつかの好漢たちが罠にかけられ、時に窮地に陥り、時にそれを打破して……としてきて、突如現れる女神、なんと急に始まるファンタジー!!
……そもそもが梁山泊らが魔星の生まれ変わりということで、事の始まりがファンタジーと言えばファンタジー。そう考えるとおかしくはないのですが、女神様が出てくるような雰囲気の読みものだったか?と言われるとそうではないので、何だかおかしくなってしまうんですよね。そんな九天玄女の登場シーンについて、ご説明しましょう。
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宋江との運命的な出会い(還道村の奇跡)
さて宋江、ある日急に里心がつきまして。故郷に帰って親を呼んでくる!となりまして。しかしこの頃の梁山泊はすっかりお尋ね者、皆は危険だと宥めるもそれを聞く宋江ではありません。そのまま急いで故郷へと向かいます。ですが当然のことながらお尋ね者の宋江は都頭代理の趙能と趙得に追われることになり、懸命に夜道を走って逃げました。
絶体絶命!追手から逃れて古廟(こびょう)の厨子に隠れる緊迫のシーン
辿り着いたのは古い廟。宋江は祭壇の上の厨子の中に身と息を潜めます。息つく間もなく追ってきた趙能と趙得、厨子の中を覗こうと手をかけ、あわや宋江これまでか!と、突然、怪しい風が駆け抜け、二人の持っていた松明の灯が消えてしまいました。急な風と暗闇に、追って二人の背に伝う恐怖はいかほどだったでしょうか。これは祟りではないかと慌てて廟を後にします。
夢か現(うつつ)か。青衣の童子に導かれて出会った女神の姿
そこに突如、青い服を着た童子二人が宋江の前に現れた!
「星主さま、女神さまがお呼びです」
これには宋江もびっくり。自分はそんな名前ではないと言うも、二人の童子はいいからついて来いと言うではありませんか。その二人に案内されるままに祭壇の後ろの隠し門をくぐると、そこはまるで夢の世界。そして歩けば美しい宮殿に、更に美しい女神さまがいるではありませんか。女神様は驚く宋江を持て成してくれました。
梁山泊の絶対的スローガン「替天行道(天に替わって道を行う)」の誕生
そうして女神、九天玄女は宋江に三巻の天書を渡してこう言いました。
「宋星主よ、貴方にこの天書を授けます。この書を読み込み、天に替わって正しい道を行うように努めなさい」
そう、これこそが宋江がその後、梁山泊が正しい行いをする(度々道徳的には正しいとは言い難いことをしますが……時代ですので)ことを目的としているのは、この時の女神の教えあってのことなのです。
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女神が授けたチートアイテム「三巻の天書」の謎
「その仕事が終われば、あなたはまた天に帰ることができるでしょう」
と、よくよく考えたら後々のことまで伝え、宋江に三巻の天書を授ける九天玄女。因みに厚さが10㎝くらいあるので、かなりの文量であることが予想されます。そこで宋江は目を覚まし、夢だったのかと首を傾げる袖の中にはちゃんと天書がありました。宋江は廟の中を見回すと、祭壇の上には美しい女神像が。女神が自分を助けて導いてくれたと悟った宋江は、再び梁山泊へと戻るのでした。
「天機星(呉用)以外に見せてはならない」という厳しい条件
尚この天書、宋江に渡されるに当たってとある縛り条件を言い渡されます。それは
「呉用以外に見せてはならない」というもの。
えっ誤用先生……おっと、呉用先生だけ特別扱い……!?この条件がどんな理由だったのかは推測するしかないのですが、複数に読むことは禁じられているが、宋江の軍師である呉用ならばよし!という理屈でしょうか……?尚、この軍略戦術の数々を呉用先生がどのように巧みに使い分けたのかは凡百である筆者などには及びもつきません。残念なことです。
【考察・主観】天書は本当にあったのか?宋江の「政治的ハッタリ説」を疑う
さてここまで言ってきてなんですが、この天書は本当にあったのでしょうか?というのもここからこの天書が度々話題に出て来て梁山泊を救うならまだしも、そんなに……というか殆ど……出番が、ない。更に付け加えるなら、水滸伝の翻案によってはファンタジー色が強すぎるのか、この件がカットされることも多く、何かと不遇です。
寧ろこの天書の最大の役割は「九天玄女に授けられた」ことであり、宋江は正道を行っている、という大義名分であったのでは……なんか唐突だし……と考える次第ですが、こちらはまた後で話しましょう。
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再びの降臨!遼国討伐における九天玄女の救済
九天玄女は宋江に天書を授け、そしてこの先を導くかのように示唆を行い、消えてしまいます。ここから、九天玄女についてあまり語られることはありません。宋江が天書を用いて場を切り抜けようとすることはあるものの、女神自身が降臨することはないのです。そうしてここから40回ほど過ぎた辺りで、再びこの九天玄女は宋江と読者の前に姿を見せることとなるのでした。
梁山泊軍を全滅の危機に追いやった遼国の魔法陣「太乙混元陣」
梁山泊が帰順し、遼国との戦いが始まります。この戦いもまた激しく、一進一退のような激戦が繰り広げられる中、昌平県境での戦いで宋軍は大敗を喫してしまいます。遼国随一の将、兀顔光による変幻自在の陣、太乙混天象の陣によって苦しめられる梁山泊ら。最早この戦いに勝てないのではないか、宋江は頭を抱えているしかできなくなります。
夢枕に立つ女神。無敵の陣を破るためのピンポイントなアドバイス
しかし宋江がある夜うとうとしていると、ふいに青い服の童子が現れ、再び九天玄女の元に宋江を導きます。そうして出会った九天玄女は、太乙混天象の陣をどのように打ち破るかの知恵を授けるのです。因みに破陣の法は簡単に説明すると部隊を細かく分け、相手の五行に相克関係をぶつけて打ち破ると言うある意味で道術の基本とも言うべき破り方。こうして宋江たちは勝利を得るのでした。
困ったときの女神頼み?RPG的「ご都合主義」すら愛おしい展開
登場同じく、突如現れて秘術を授けていく九天玄女、これはちょっと「ご都合主義」では?と思う方もいるかもしれません。しかし、長い水滸伝を追っているとこの時ばかりはそれを感じさせない話の巧みさを覚えます。寧ろ、ここまで良く九天玄女を引っ張ってきた!と感嘆するのですよね。初回に現れてからここまで、九天玄女についての話は語られません。ですがこの絶体絶命の最中で授ける秘策、正にこれぞ話においての軍略……とは言い過ぎかもしれませんが、ここでの女神の登場はご都合主義よりも、感動すら覚える展開です。
……なにより、ここから水滸伝は梁山泊にとって辛いことばかり起きるので。王慶戦辺りで終了して、朝廷がちゃんと働きに報いてくれたら良かったなぁ……な見方をしてしまうからこそ、振り返ればこの勝利がとても爽快さを孕んでいるのだと思いなおせます。水滸伝の面白さは、あの終幕でありながら、後々に見直したくなる場面の多さなのかもしれませんね。
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史実・中国神話における九天玄女の実像
ここで九天玄女についてもう少しお話ししましょう。九天玄女は、人首鳥身の婦人をした姿の女神で、西王母に遣わされ、黄帝に戦法、そして蚩尤を抑えるための様々な術を授けた存在ともされています。黄帝は古代中国における伝説上の君主であり、最初の帝ともされる存在。女神の教えを受けたからか、現代で言えば何でもできちゃう
チート存在と言っても過言ではない皇帝です。
作者(施耐庵)はなぜ、数ある神様の中から彼女をチョイスしたのか?
そんな黄帝すら導いた九天玄女が水滸伝の登場人物、そして梁山泊の首魁となった宋江にも教えを与え、危機を乗り越える手助けをしたのか。もっと言えば、なぜ作者である施耐庵は他の多くの神々ではなく、九天玄女を選んだのか。そこを考えていくと、単なる気まぐれでも思いつきでもない、作者の意図、そして込められた思いが見えてくるのではないでしょうか。
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なぜ水滸伝という物語に「神の介入」が必要だったのか?
さて、何度も言っていますがそもそも梁山泊は魔星の生まれ変わりです。悲痛の運命を辿るのも、更に言うならば非道な振る舞いすら時に行うのも、当時と現代の価値観の違いもありますが、そもそもが魔星の生まれ変わりであるならば……という考察もできます。しかしここで重要なのは「九天玄女」という神が宋江に道を指し示すことです。この神の介入こそが、物語の向かう先を悲痛でありながら非業ではなくしたのではないか……と愚考するのであります。
単なる「山賊の集まり」を「天命を受けた軍隊」に昇華させる正当化の装置
九天玄女は正義の女神、その女神が関わり、道を指し示した集団。梁山泊は言ってしまえば罪人の集まり、そこに、神、つまり天命が加わります。つまり、彼らは天の命を受けて動いているのです。舞台装置というやや変則的な言い方をすれば、ただのごろつきの集まりが、天命を授けられた神の領域の存在たち、そこまで昇華させるのが九天玄女という存在ではないでしょうか。
罪人だった宋江が、108人の絶対的リーダーになるための「大義名分」
ここで少し穿った見方をしますと、「大義名分」が梁山泊には必要だった、という理由も考えられますね。宋江、当初は罪人です。カリスマこそあるものの、やや積極性に欠け、割とやらかし、更に巻き込まれ……と、当初は宋江が何を成したいのか読者からすると分かりにくい部分が多々あります。
しかし、その宋江が九天玄女に出会い、道を指し示された。そんな宋江が選ぶ道には間違いはない……それを暗に示す、存在であったのではないか。ただここでもう一つの「大義名分」もまた考えられます。九天玄女はやはり神の使い、そしてその存在もまた、正しき存在。その正しい存在が導く先、そこについてももう少しばかり話させて下さい。
リアリズムとオカルトが平然と融合する、中国古典文学の底知れぬ魅力
九天玄女に導かれていく先々ではあるものの、後半は梁山泊にとって辛い展開ばかりです。その上で宋江は、途中、弟分に「兄貴が皇帝になればいいよ!」と言われてしまいます。まあ李逵なんですけど。ですがここで宋江はあくまで激怒、窘めるとかではなく、激怒です。宋江が選んだのは、進む先はあくまで国への、そしてそこに住む人々への忠であり、義の道です。
九天玄女と言う存在は、ただ梁山泊に大義名分を与えただけでなく、その首魁である宋江に「正しい道」を選ばせるための「義」の存在ではなかったのか……そんな風にも考えられます。
「お天道様が見ているぞ」
ではありませんが、誰かが見ている。どこかで誰かが見ているなら、恥ずかしい振る舞いはしない。それはリアルとは程遠いオカルトですが、その善性こそがリアルに繋がり、世を少しずつ正しくしていく。魔星の生まれ変わりたちから感じる、善性の魅力なのかもしれませんね。
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三国志ライター センのひとりごと
さてさて、突如現れる九天玄女、そして現れてから暫くそのことについて何にも触れられない九天玄女。しかし久しぶりに出てきたらしっかりと敵の策略を押し返す策を授けるその姿、正に神と言わざるを得ません。ですが、もっとも多くの味方を失う方臘戦には九天玄女は現れることはありません。これは何故か。
思えば、あれは玄女の言う通り、天に還る戦いだったのかもしれません。梁山泊は魔星の生まれ変わり、彼らは国のために働き、国のために動き、利用され、最期にはそれに報いられることなく散る。そこまでしてやっと、魔星の罪償いは終わったと見なされ、天に還った。
方臘戦が懺悔の場と言うのもおかしな話ですが、梁山泊の退場がそれぞれ違うのもまた、天の采配であったのかもしれませんね。で、あるならば。もしかしたら九天玄女とは、作者の……と、これ以上の「野暮」はここまでにしましょうか。
今宵も湖の畔で。どぼーん!
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