三国志の時代の衣装といえば、皆、長い上衣に裳(しょう)というスカートを巻いている。
そういう風にイメージしてしまいがちです。
しかし、実際には当時でも服装にはバリエーションがあり職業でも違っていたのです。
そこで、今回の『はじめての三国志』は、当時の服装を幾つか紹介してみましょう。
エントリーナンバー1 高級官僚の服装
最初に紹介するのは、三国志の時代の高級官僚の服装です。
衣服はワンピースで、前で衣服の左右を合わせるタイプ、
全体的にかなりダボッとしています。この衣装だと、袖から手が出ず、
何か物を取る時には、片手で袖を引かないといけませんでした。
人物の腰の帯から下に垂れているのは、
綬(じゅ)といい役職の印(いん:印鑑)に結ばれていた紐です。
当時は、県令や県長、郡太守というような役職ごとに印があり、
それぞれの責任者が、肌身離さず印を保持していました。
綬だけでは、落とす可能性があるので、印を綬で帯に結び、
一方を印に結んで、印本体は懐に入れていました。
綬の長さや材質で、その身分の上下が分かるので、
当時の高級官僚は、これみよがしに綬を長く垂らして歩いています。
頭の羽子板のようなものは冠で、その下は頭巾です。
頭巾は2000年前頃から流行して、三国志の時代でも、
まだまだブームになっていました。
また当時の中国では、よそ行きの衣服は、襟や衣服の袖、
裾には別の生地を縁取りするという決まりがあり、
それが無い衣服は最低という不文律がありました。
この高級官僚の衣服も襟、袖、裾に幾何学文様の飾りがありますね。
エントリーナンバー2 一般兵士の服装
次のイラストは、三国志の時代の兵士の服装になります。
上着の下にズボンを穿いているのが分かりますね。
手には、戈(か)という横に刃が出た武器を持っています。
戈の上から飛び出している赤いのは、戈の飾りです。
足には靴を履いていますが、当時の靴はダボダボだったので
脱げないように紐で縛って履いていたようです。
ただ、三国志の時代、戦車戦の武器として発展した戈は、
かなり時代遅れになっていたので、この兵士が実際に戈を使用したのか
あるいは儀礼用のアイテムとして持っていたかは分かりません。
こちらも、高級官僚と同じく、羽子板状の冠と頭巾をかぶっています。
冠は、当時の男性なら誰でも被っていて、むしろ、被らないのは、
裸を見られるような、とても恥ずかしい事とされていました。
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エントリーナンバー3 精肉業者の服装
三番目のイラストは、三国志の時代の肉屋の服装です。
服装というか半裸で、ハーフパンツという方が正解ですね。
石刻画では、このハーフパンツ、体のラインぴっちりに見えるので、
素材は麻ではなく、動物の繊維や革だったかも知れません。
それなら、まさしく革パンという事になります。
ハーフパンツには、紐がついていて、お腹の所で結んでいました。
当時の肉屋には冷蔵庫がないので、肉屋は注文が来た段階で
豚を屠畜しすばやくさばいてお店に出していました。
大抵、肉屋の裏は、養豚場で、そこで適当な豚を選んでいたのです。
当然、豚は暴れますし、殺す段階で血も出ますから、
通常の服を着ていたのでは、汚れて使い物になりません。
そこで、上半身は裸にして、短パンを穿き、
汚れても大丈夫なようにしてから、仕事をしていたのです。
さすがに仕事の邪魔になるので、冠は被っていませんが、
それでも、頭巾だけは被っているので、当時、頭巾というものが、
どれだけ普及していたか分かります。
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三国志ライターkawausoの独り言
こうしてみると、三国志の時代でも、職業、或いは身分により、
かなり服装は違っていたという事が分かります。
張飛(ちょうひ)は、いずれも前身が肉屋なので、おそらく、
ここで挙げたような服装で、毎日汗を流していた事だと思います。
両者とも巨体で髭顔のイメージが強いので、その仕事風景は、
さぞかし凄かったでしょう。
本日も三国志の話題をご馳走様・・
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