三国志演義に限った事ではありませんが、歴史小説では、
豪傑達が、大きな甕から酒を注ぎ、何百杯も酒を飲んで全く酔わない
というような酒豪伝説があります。
三国志とお酒と言えば
一番有名なのは、酒を飲んでは暴れて失敗を繰り返し、最期も、部下に
「関羽の仇討ち用に3日で数万着の白衣を用意しろ!」と
無理難題を押し付け「出来なきゃ死刑」と断言して、
寝首を掻かれてしまう張飛(ちょうひ)でしょう。
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関羽もお酒を飲み手術を受けた
関羽(かんう)も、肘の手術をしながら、酒を飲んで
囲碁を指すというような、豪傑然とした武勇伝があります。
これだけ見ると、三国時代には酒豪が多かったように思えますが、
では、三国時代のお酒とは、どういうものだったのでしょうか?
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三国時代のお酒はどんなの?
ものの本によると、三国時代のお酒には、事酒(じしゅ)、
昔酒(せきしゅ)、清酒(せいしゅ)があったと書かれています。
ここで言う、事酒とは、半濁のドブロク、昔酒とは事酒を
少し発酵させてアルコール度数を上げたもの、
最期の清酒とは、昔酒をさらに発酵させて、
上に浮いた上澄みだけを甕に詰めたものだそうです。
ただ、当時の醸造技術では、度数の高い、蒸留酒を造る技術は無かったようで
そのアルコール度数も低く、事酒はアルコール度数1%以下で、
現在のホッピーのようなものでした。
保存期限も短かった
それ程、日持ちもしなかったようなので、早めに飲まないと
直ぐに化学変化で酸っぱくなったようです。
昔酒や清酒は、それよりもアルコール度数は高かったようですが、
現在程ではなく、ビールとか発泡酒のレベルです。
そんな低いアルコール度数なら、そりゃあ、水と同じで、多少
アルコールに強い人なら何百杯と飲めたかも知れません。
九醞春酒法という製造方法もある
ただ、九醞春酒法(きゅうおんしゅんしゅほう)という酒を
9回に渡って付け足す方法も知られていて、
この方法だと日本酒レベルの度数14~20度までは実現できたとか、、
もっとも、手間ヒマが掛かる、このような酒は、
普段、飲まれたとは考えにくく、通常の宴会では、事酒や昔酒が
一番多く飲まれたかも知れません。
当時の人も酒が大好物だったので曹操はある命令を
それでも、当時の人も、やはり酒は大好物だったようで、
穀物の大半を酒に変えてしまったらしく、、
戦争時の兵糧が不足するのを恐れた曹操は、酒の醸造を禁止する
法令を何度か出しています。
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—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—
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この記事を書いた人:kawauso
自己紹介:
三度の飯の次位に歴史が大好き
10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、