西暦228年に北伐を開始した蜀の諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)は、
君主たる劉禅(りゅうぜん)に出師表をたてまつります。
そこには「漢室復興し旧都に還る」とあります。
簒奪者の魏を滅ぼし、漢王朝を再興するのがこの戦の名目でした。
実に崇高な戦争です。
その昔、漢の高祖・劉邦(りゅうほう)も諸葛亮孔明と
同じく漢中から中原に攻め入り天下を獲りました。
諸葛亮孔明はその再現をしようと試みます。
「三国志演義」では諸葛亮孔明の北伐を「六出祁山」と表現していますが、
実際に武都近郊の祁山まで諸葛亮孔明が出陣できたのは第一次と第五次の二度だけです。
陳寿の評価
「三国志」の著者である陳寿は北伐の責任者である諸葛亮孔明に対して次のような評価をしています。
「治戎を長となし、奇謀を短となす、理民の幹は将略に優る」
要するに政治は超一流の諸葛亮孔明も、こと実戦の戦略はそこまで凄くなかったという評価です。
六度行われたという諸葛亮孔明の北伐で大きな成果を
挙げたのは第三次で武都郡と陰平郡を征服したぐらいです。
しかもこの領土はどちらかというと蜀の領内という場所です。
諸葛亮孔明の誤算
諸葛亮孔明の北伐には誤算がつきものです。
第一次では荊州の孟達の内応を司馬懿に見破られて攻略の糸口を失います。
さらに街亭に出陣した馬謖(ばしょく)がド素人のような
布陣を敷いて張郃に木っ端みじんに打ち破られ、
泣く泣く責任者の馬謖を斬ることになります。
第二次では新任の魏将・郭昭の力を見誤り時間をかけ過ぎて二十日あまりで兵糧切れ。
第五次で上邽において司馬懿と対陣しますが、敵兵の首級三千をあげながら四ヶ月で兵糧切れ。
思うような成果をあげることができませんでした。
しかも第六次では己の病状から陣中で没することとなり撤退することになります。
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好敵手・司馬懿との対陣
第六次の北伐では五丈原に陣取り、約百日の期間を魏将の司馬懿と対陣することになります。
「軍師連盟」でも見せ場になると思いますが、
うかつに攻め込むと、攻め込んだ方が敗北するという忍耐を要する対峙です。
司馬懿は挑発してくる諸葛亮孔明を無視して最後に勝利を手にすることになります。
かりに司馬懿が挑発にのって陣を動かしていたら魏は敗北していたことでしょう。
明帝(曹叡)は辛毗を使者に立てて司馬懿を絶対に動かさないように厳命します。
結果、心労がたたったのは諸葛亮孔明の方で、病没します。
司馬懿の功績
第六次で辛抱が実を結んだ司馬懿ですが、
「軍師連盟」で活躍する司馬懿の功績はなんといっても
第一次北伐の際の孟達の内応を抑えたことでしょう。
この点だけでいっても司馬懿がいなければ諸葛亮孔明の北伐は成功していたかもしれません。
ただし、ここで上手く事が運んでいても、
蜀は長安や上庸を押さえるぐらいでそれ以上の侵攻は難しかったと思われます。
兵站の問題があったからです。
占領地で兵糧を確保するにもおのずと限界がありますし、
諸葛亮孔明が開発したと云われる運搬器具「木牛・流馬」が登場するのは第六次のことです。
屯田を行ったのも第六次の五丈原とされています。
魏としては最前線を突破されても逆転する手はいくらでもあったのではないでしょうか。
問題は同時攻撃を仕掛けてくる呉です。
呉にも勢いづかせると魏国は大いに脅かされる危険性がありました。
魏には相当な余裕があったと思われます。
しかしプライドを傷つけられることを許さない
明帝(曹叡)はこの最前線で蜀を食い止める策をとります。
それに立派に応えたのが司馬懿です。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
「軍師連盟」の主役となる司馬懿。
第六次の北伐において諸葛亮孔明の計略に引っかかり
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という失態を犯しますが、
全体像を見て見ると司馬懿の健闘は光ります。
諸葛亮孔明の最大の誤算は敵陣にこのような忍耐強く、
深謀の持ち主たる司馬懿がいたことかもしれません。
結論として「もし魏に司馬懿がいなかったら魏への攻撃は成功していたのか」というと、
「蜀は魏に効果的なダメージは与えられた」というのが正解だと思います。
しかし滅ぼすまでには至らなかったことでしょう。
蜀と魏の国境には海抜二千mを超える秦嶺山脈が東西に伸びており、
進軍するにも援軍を出すにも蜀にとっては大変なことだったからです。
下手をすると、もしかしたら蜀軍は中原深くに引き込まれて
壊滅的なダメージをこうむっていたかもしれないのです。
やはり劉備、関羽、張飛の役者抜きでは蜀は苦しかったというわけです。
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