留守中の劉備を陥れて、徐州を手に入れた呂布ですが、
徹底的に劉備をつぶす気はなかったようです。
初めは呂布と戦うも、兵糧が尽きて致し方なく降参した劉備を
呂布はあっさりと受け入れて、小沛(しょうはい)に駐屯させます。
そんなとき、袁術が落ちぶれた劉備を叩くならいまだと思い、
小沛に配下の武将、紀霊(きれい)を向かわせました。
呂布と袁術のビミョーな関係
呂布の配下たちは、
「ちょうどいい。袁術に手を貸して
この機に劉備を亡きものにしましょう」
と言いますが、呂布は首を縦に振りません。
そういえばかつて、長安を追われた呂布は袁術を頼って南陽に向かいますが、
袁術は、「裏切り者の呂布なんて信用できないもんね」と
城門をかたく閉ざして受け入れを断固拒否したことがありました。
曹操から逃げて来た呂布を受け入れてくれた劉備と、
シカトした袁術。
呂布としては、どちらかといえば、劉備に味方したくなったとしても
おかしくありません。
自称・皇帝を名乗っていた袁術(えんじゅつ)
また、それとは別に、
この頃袁術は皇帝を自称していたので、呂布は
「俺の娘と袁術の息子を縁づけて連携するかな」と考えたことがありました。
しかし、このとき、参謀の陳登(ちんとう)が
「袁術は皇帝といっても『自称』ですぞ。やめておきましょう」
と反対しました。
呂布は「なるほど」と納得し、袁術と手を結ぶのをやめたという経緯もあります。
陳登はもともと陶謙(とうけん)の配下で、陶謙死後は劉備に仕え、
劉備の留守中、張飛がお酒を飲まないように見張り番を頼まれたのに
張飛と酒盛りをしてしまって、呂布に徐州を乗っ取られた……という
なんとも不思議な立ち位置の参謀なのですが、
呂布のことをひどく嫌っていて、
呂布と袁術の提携を断固阻止しようとしていたのでした。
(曹操のスパイだったとも……)
一本の戟に弓矢を射る
呂布は劉備を救うために小沛に向かいました。
そこで紀霊に対し、宴を催すように要求します。
宴席で、呂布はこんなことを言います。
「劉備は俺の弟だ。だから助けに来た。兵を引いてくれ」
紀霊からすれば「はあ!?」という発言です。
呂布は、遠く離れた営門に戟(げき)を立て掛けます。
そして遠く離れて
「あの戟の柄に弓を射る。矢が刺されば天の声だと思って
兵を引け」
と言います。
まさかそんな、とざわつく諸将の前で、
呂布は見事に矢を命中させるのです。
紀霊は呂布の技を讃え、撤退することにしました。
大きな方天画戟を振り回すだけではなく、弓矢までも名人の域とは
呂布、恐るべしですね。
しかしこの逸話、誰かを思い出します。
源平合戦の折、弓矢で船上の扇を射抜いた那須与一という武将。
まさに神業です。
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この記事を書いた人:東方明珠
こんにちは。とうほう めいしゅです。
中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。
もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。
当時はゲームセンターに通いつめました!
まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。