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甘寧の子孫はその後どうなったの?呂蒙の地位にも劣らぬ大出世した子孫たち

2016年12月14日


 

甘寧と凌統04

 

孫権(そんけん)の最終兵器として、黄祖(こうそ)討伐、赤壁の戦い、

南郡攻略、濡須(じゅす)口の戦い、合肥の戦いと最晩年まで

最前線で命知らずの働きをした甘寧興覇(かんねい・こうは)

その活躍の割に、呂蒙(りょもう)周瑜(しゅうゆ)凌統(りょうとう)

寄せられた信頼程には孫権に信任されず西暦215年~219年前後に

六十代後半で死去した彼ですが、その子孫達は、どんな人生を送ったのでしょう。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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父の軍を相続出来ず、罪を犯し流罪の末、病死した甘瓌

甘寧 ゆるキャラ 三国志

 

甘寧の子は甘瓌(かんかい)と言うそうですが、父の死後、

その軍勢を引き継ぐことが許されず、しかも、それからしばらくして

罪を犯し、会稽に移された後に病死しています。

 

潘璋

 

呉では大体の場合、兵は父から子へ引き継がれるのですが、

甘寧の兵は似たようなタイプ(粗暴だが強い)の潘璋(はんしょう)へ統合させられます。

果たして、甘瓌は兵を預けられないような不適格者だったのか?

罪を犯して会稽に流されるという事は、そういう事もあったのかも知れません。

甘瓌には、甘述(かんじゅつ)という子がいて、家督は彼に継がれます。

 

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呉の尚書だった、甘述

 

唐の時代に編纂された晋書によると、この甘寧の孫の甘述は、

呉の尚書だったとされています。

尚書は、皇帝の勅書や上奏文を扱う重要なポストで文官が就きます。

その尚書に甘寧の孫の甘述がつくとは意外な事ではあります。

 

或いは、軍権は解かれても、甘寧の一族は一応、建国の臣として

ある時点では見直され、また引き立てられたのかも知れません。

甘述が亡くなると、その子の甘昌(かんしょう)が家督を継ぎました。

 

呉の武将

 

甘昌は太子太傅まで昇進した

 

甘述には、甘昌(かんしょう)という子がいて、

太子太傅という地位に上ります。

 

太子太傅は、皇太子の教育係で、その訓導を任されました。

やがて皇太子が即位すれば重んじられる重要なポストです。

そこまで昇りつめたという事は、甘昌は有能な人だったのでしょう。

甘昌が死去すると、その家督は、甘卓(かんたく)に引き継がれます。

甘寧から数えて、4代目の曾孫です。

 

呉が滅びると晋に仕え重臣になった甘卓

孫権

 

この甘卓の時代の西暦280年に呉は西晋により滅ぼされます。

甘卓は、亡国の臣として在野に下りました。

その後、丹陽郡から召しだされて、主簿や功曹の下級官を歴任した後に、

徳行を讃えられて孝廉に上げられ、さらに秀才で推挙されて、

呉王常侍となりました。

 

その後、甘卓は東海司馬越(しばえつ)の参謀として仕えます。

しかし、この頃には晋の政治は乱れ、華北は騒乱に陥ります。

西暦302年、仕えていた東海王、司馬越は、混乱に乗じて洛陽に入り、

4年をかけて、同じ司馬一族を追い落して権力を握っていきます。

 

甘卓は、中央の権力争いの激しさに恐ろしさを感じて、

職を辞して、比較的に安定していた江南に帰ろうとします。

 

その後、甘卓は陳敏(ちんびん)という人物と会い意気投合、甘卓の娘を

陳敏の子が娶るという親戚の間柄になります。

甘卓は、陳敏の配下になりますが、西晋の力が衰えた事を知った

陳敏は自ら楚公を名乗り独立します。

 

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甘卓、陳敏を裏切って滅ぼし東晋の重臣になる

 

甘卓は、陳敏に従い、その武将になりますが、西暦307年、

周玘(しゅうき)という群雄が、陳敏の弟の陳昶(ちんちょう)を部下の

銭広(せんこう)に攻撃させると、陳敏は甘卓を救援に向かわせました。

周玘は、甘卓を懐柔する為に丹陽太守の顧栄(こえい)を派遣、

元々、顧栄を尊敬していた甘卓は思い悩みますが、陳昶が銭広に

殺されたと聞くと、目的が達せられない事を知り、陳敏を裏切ります。

 

そして、自身は重病に罹ったと嘘をついて、陳敏の息子に嫁いだ

娘を呼び寄せると、これで憂いなしとして周玘と結託して

陳敏を攻めて、これを滅亡させます。

 

後味の悪い話ですが、乱世ですから、負けそうだった陳敏の方が

悪いのでしょう。

 

西暦316年、司馬睿が東晋を興すと、その配下になる

 

西暦316年、西晋の都、洛陽は匈奴系の漢の劉聡(りゅうそう)の

攻撃により最期の慇帝(いんてい)が捕まり滅びました。

司馬系の王だった琅邪王の司馬睿(しばえい)は江南の人士の支持を受けて

建康(後の南京)に都を置いて即位し、東晋の元帝になります。

甘卓は、元帝に従い、前鋒都督、揚威将軍、歴陽国内史に任じられました。

 

その後、甘卓は、東晋の重臣として、南郷侯、豫章(よしょう)郡太守、

さらに西暦320年には、安南将軍、梁州刺史、仮節、督沔(べん)北諸軍となり、

襄陽に駐屯して政務を取りますが、少数民族の統治に気を使い、

善政を施して人民から感謝されたそうです。

 

あの乱暴な甘寧の曾孫が、襄陽で善政を施すとは、奇妙な因縁を感じます。

 

琅邪王氏の王敦が挙兵、東晋と王敦の間でグズグズしている間に殺される

 

司馬睿が興した東晋は亡命政権で、自前の兵が弱いので、

主に軍閥の琅邪王氏の軍事力に頼っていました。

勢い、東晋で琅邪王氏の力は伸びていき、それを抑えようとする

司馬睿と琅邪王氏の関係は険悪になり、丞相の王導(おうどう)が遠ざけられると

ついに同族の王敦(おうとん)は武昌で挙兵して東晋に背きました。

 

王敦は、東晋の有力武将の甘卓を寝返らせようと使者を送ります。

甘卓も、このままでは東晋に勝目がない事から、渋々寝返ります。

ところが、以前に陳敏を裏切った決断はどこへやら、

甘卓は、東晋に対しても未練があり、グズグズし、

王敦にも、挙兵を思いとどまるように手紙を送りました。

 

このような事から、王敦は甘卓に疑いの念を抱きます。

案の定、説得により、東晋に寝返った甘卓ですが、今度は王敦を気にし

グズグズして、まるで軍勢を進めようとしません。

 

その間に王敦は、東晋の軍勢を破りますが、東晋を滅ぼしてまで

天下を維持する自信がなく、元帝と協力して王敦は丞相となりました。

戦争が終わったので甘卓は襄陽に帰りますが、部下は、

「執念深い王敦は必ずあなたの命を狙うので警戒を怠ってはなりません」

と進言します。

 

ところが、甘卓は、

「もう戦争は終わった、帝と王敦は和睦したのだから

私が殺される事はない」と相手にしませんでした。

 

甘卓は或いは、高齢で耄碌(もうろく)していたのかも知れません。

やがて執念深い王敦は、襄陽太守の周慮(しゅうしょ)をけしかけ、

西暦322年、甘卓は寝ている所を襲われ、首を斬られて死去します。

四男で散騎郎だった甘蕃(かんばん)等も同時に殺害されました。

 

数年後、王敦も病死した事で、消極的には東晋に忠義を立てた甘卓は

評価され驃騎(ひょうき)将軍の地位が贈られたようです。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

甘寧の死後、息子の不祥事で没落するかに見えた甘一族は、

孫の代から尚書、太子太傅と昇進、一度は呉の滅亡で、

昇進は御破算になりますが、晋末の乱世で、甘寧の曾孫である

甘卓が出て、列侯、諸軍を纏める地位になり仮節を与えられます。

その地位は、甘寧が内心嫉妬した呂蒙(りょもう)の地位にも劣らぬもので、

ひ孫の代でようやく、追いついたと言えるでしょう。

 

しかし、甘卓の最期の優柔不断ぶりは、一匹狼の曾祖父

甘寧の子孫とは思えない残念なものでしたね。

 

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