李傕(りかく)・郭汜(かくし)と並び称されながら、李傕程の知名度はない郭汜。
三国志演義でも、正史三国志でも、李傕と仲違いして、長期の内乱を起こし、
多くの民衆を巻き込んで自滅した彼の人生はどういうものだったのでしょうか?
今回は李傕政権のナンバー2、郭汜を主人公として生涯を辿ってみましょう。
前回記事:【李傕・郭汜祭り 1日目】凶悪!董卓を上回る暴君李傕の履歴書
この記事の目次
涼州張掖郡の人 郭汜(かくし)
郭汜は涼州の張掖(ちょうえき)郡の人です、張掖というのはシルクロードの玄関で、
異民族の侵入を警戒して、見張りの砦が建っているような乾燥した土地です。
同僚の李傕は、北地郡のようですが、近い場所のようです。
出自については、郭汜の事は何も分かりません、この事から推測できるのは、
孤児であったか、父母が異民族の出身者で、先祖の来歴が分からないかです。
この地で馬に跨って暮らす生活を続ける間に、郭汜は董卓(とうたく)の知遇を得て、
西涼の精強な騎馬兵として、共に洛陽に上る事になります。
董卓が暗殺されると、賈詡の勧めで長安に攻め上る
董卓は洛陽で献帝を擁して権力を握りますが、反董卓連合軍の孫堅(そんけん)の活躍で
洛陽が維持出来なくなると、ここを焼き払い、長安に遷都します。
さらに、反董卓連合軍が追撃してこないように中牟(ちゅうぼう)という所に、
李傕、郭汜、樊稠(はんちょう)等を派遣して防衛にあたり、
攻め寄せてきた朱儁(しゅしゅん)を撃退しました。
しかし、西暦192年、ボスである董卓が裏切った呂布(りょふ)に暗殺されます。
これは、司徒の王允(おういん)が裏切り癖がある呂布を唆したものでした。
さらに悪い事に、郭汜の直属の上司である牛輔(ぎゅうほ)も、逃げる最中に
部下に殺され、命令系統を失った李傕・郭汜は、軍を解散して故郷に逃げようと決めます。
ですが、ここで賈詡(かく)が登場、軍を解散すれば、それこそ自殺行為で、
ここはいちかばちか、長安に攻め込むのが上策で、逃げるのはそれからでも
遅くはないと進言します。
李傕・郭汜はそれもそうだと思い直し、董卓の弔い合戦を旗印に、
長安に攻め上ると、王允に不満を持つ涼州人や山賊が続々合流し
兵力は10万も到達、この勢いで長安を守る呂布を撃破し、
王允を殺して、献帝を保護しました。
この時、武勇に秀でた郭汜は呂布と一騎打ちをして敗れ、
危うくトドメを刺される所を味方の軍に救われたようです。
こうして、この間まで、おたずね者だった郭汜は後将軍に任命され、
漢王朝の政治のトップに躍り出ます。
馬騰の反乱のどさくさに掠奪を繰り返すDQNぶり
その後、韓遂(かんすい)と馬騰(ばとう)が李傕に降伏してきました。
李傕は、単純そうな馬騰を長安周辺に置き、計略上手の韓遂には、
鎮西将軍の称号だけを与えて郷里に返します。
しかし、その後、馬騰は個人的な頼みを李傕に無視された事で腹を立て、
侍中の馬宇(ばう)、諌議大夫の种卲(ちゅうしょう)左中郎将の劉範(りゅうはん)と
クーデターを計画、李傕一派を皆殺しにしようとします。
ところが途中で計画は漏れてしまい、失敗、李傕軍の逆襲を受けて
馬騰は敗走、馬宇は樊稠に殺害されました。
この頃、郭汜は、まだ数十万戸の人口があった三輔(さんぽ:長安周辺)で
戦争とは無関係に掠奪を尽くして回り、多くの人民を殺害しています。
この為に食糧を失った人民は、飢えてお互いに食いあい、
さらにその数を減らし、やがて全滅してしまったそうです。
政治なんか、何も分からない郭汜の性格の一端が分かります。
仲良しだった李傕と内戦を開始したつまらない理由
長安を占拠した当時、李傕と郭汜は大の仲良しでした。
その後、ナンバー3の樊稠が逃げていく韓遂と親しく会話していたという理由で
李傕の猜疑心を招き、公の場で殺害される事がありましたが、
それでも、郭汜だけはナンバー2として、度々、酒宴に招かれる程でした。
しかし、余りにも郭汜が度々、李傕との酒宴に出かけるので、郭汜の妻は、
郭汜が李傕に女でも与えられたのではないか?と疑います。
こんな事で郭汜に捨てられてはたまらないと考えた妻は一計を案じます。
味噌をこねて丸薬のようなモノを造ると、手に隠し持って李傕から、
郭汜に送られた食べ物にこっそり混ぜておいたのです。
そして、何の疑いも無く、李傕からの食べ物を口に入れようとする郭汜を止めて
自分が仕込んだ、ニセモノの丸薬を見せました。
「あなた!これは毒薬ですよ、李傕は、あなた様を殺そうとしています。
昔から両雄並び立たずと言いますし、これに懲りたら、軽々しく宴会などに
出かけてはいけませんよ」
「ほげっ!う、嘘だ、李傕がオラを殺すだなんて、、だども、、
確かに毒薬は入っていたなぁ・・うーーむ」
猜疑心に捕らわれはじめた郭汜ですが、次の宴会の時にも、
ノコノコ出かけていきます。
そして、李傕からもらった美酒をしこたま飲んでから毒消し効果があると
信じられた馬の糞を溶かした汁を飲んだのです。
うげっ!ウ○コ汁飲んだぞ、郭汜、エーンガチョ!
ていうか、毒酒を飲んでも解毒剤飲めば大丈夫な発想ヤバくないか?
この時の話が李傕に伝わると、李傕も郭汜を疑いだし、遂に両者は、
互いに兵を出して攻撃し合うようになるのです。
李傕は献帝を郭汜は公卿を人質に不毛な内戦
こうして、DQN武将二人は、荒野を選んでやればいいのに、
長安のど真ん中で内戦を開始しました。
戦いの巻き添えで人民は殺され、モノは奪われ、家には火がつけられます。
こうして、長安の住民は飢えと病で倒れていきました。
内戦はなかなか決着がつかず、これは李傕が天子を抑えているからだと思った郭汜は
公卿達を集めて、宴会を開き、李傕を破る良い知恵はないか?と質問しました。
自分に無い知恵は、人から拝借しようという郭汜にしてはナイスな判断ですが、
この時、大尉だった楊彪(ようひょう)が立ちあがりズバリ言いました。
「ふん、、一体、群臣同士が相争い、一人は天子を人質にし、
一人は公卿を人質にする、こんな事をやっている場合でしょうや?」
身も蓋もない正論を言われた郭汜は激怒します。
「あーーー!おめえ今、オラの事バカにしたっぺな!
少しばっか、家柄が良いからって、オラを侮辱するのはゆるさねェ」
そして、刀を抜いて楊彪を斬ろうとしますが、周囲の公卿が全力で止めたので
とうとう斬る事を断念しました。
献帝は涼州の名士 皇甫酈を内戦の調停に向かわせるが・・
終わりの見えない李傕と郭汜の内戦に胸を痛めた献帝は、涼州出身のエリート
皇甫酈(こうほ・り)を派遣して、李傕と郭汜を和睦させようとします。
献帝の要請だと聞いた郭汜は、殊勝にも、
「天子様の仰る事なら、オラは戦を止めてもよかけんど・・」と言い
こうして、郭汜はあっさり承知をしましたが、頑固なのは李傕でした。
「呂布を倒して長安の平和を取り戻した俺様と
あんな馬泥棒を一緒にするな!」
などと妄想全開の言い分で和平を拒否する有様、、
皇甫酈が、郭汜は張済などとも組んでいますから、
簡単には倒せませんよと言うと、李傕は怒りだし貴様は誰の味方だ!
あいつに付こうってんなら、俺にも考えがあるぞと凄む始末です。
皇甫酈は追い返されますが、暗殺を恐れた献帝により、
密かに長安から逃がされました。
長い内戦に楊奉が謀反して脱出、李傕と郭汜、やっと和睦
長安を灰にした二人の謀反は確実に求心力を低下させます。
そして、ついに李傕の将軍だった楊奉(ようほう)が兵を連れて謀反を起こしますが
計画がばれたので長安を脱出してしまいました。
これにより大幅に兵力を減らした李傕と郭汜は、さすがにこのまま
内戦を続けてはまずいと思うようになります。
それより前に市街地で戦争やるとかの方が、ずっと不味いと思いますが
ともあれ、DQN武将の二人としては一歩前進です。
この時に、陜(きょう)から張済(ちょうさい)がやってきて二人を説得、
ここでようやく長期に渡った内戦が終結しました。
さらに張済は
「長安は荒れているので、一度天子を東の弘農に戻してはどうか?」
と提案し、二人はその提案を受け入れる事にします。
途中で気が変わり、献帝を強奪しようとする郭汜
こうして、李傕は長安で留守を守り、郭汜、張済、楊奉、董承(とうしょう)等が
文武百官や宮女、そして献帝を連れて洛陽に向けて出発します。
しかし、長安から僅かに進んだ所で郭汜は悪だくみを思いつきます。
(これはチャンスだべ!今、天子を強奪し郿「び」に入れば、
今度はオラが李傕を抑えて大将じゃねえが)
こうして、郭汜は献帝を拉致しようとします。
危険を察知した献帝は楊奉の陣に逃げ込みました。
郭汜「こんの泥棒猫め!オラの天子を返すだぁ!」
楊奉「るせえ!お前みたいなバカの命令なんか聞くかっ!」
楊奉と郭汜の軍勢は、激突し、郭汜は敗れて長安に逃げ帰ります。
断末魔のDQNコンビ復活 献帝一行に追いすがる
敗れた郭汜は、長安でまったりしていた李傕の屋敷に飛び込みます。
「兄弟!大変だ、楊奉の野郎、自分が天子を独り占めする気だべ」
「あんだとォ!くそっ、あの野郎、俺を騙しやがったなぁ」
頭に血が昇った李傕と郭汜は数年ぶりにコンビを結成し、
怒涛の勢いで献帝の一行を追撃します。
足の遅い宮女や公卿を連れている献帝一行は逃げきれず、
曹陽県で、DQNコンビに追いつかれてしまいました。
李傕&郭汜、張済を引き込み、献帝軍を撃破するが・・
途中、楊奉は献帝を洛陽にお連れすると言いだし、弘農に連れていくと主張した
張済とトラブルに発展、張済も怒って李傕軍に合流しました。
ピンチになった楊奉は白波賊の韓暹(かんせい)、胡才(こさい)
李楽(りがく)を仲間に引き込んで最期の決戦を挑みますが、
バカだけどケンカだけは強い李傕・郭汜&張済連合軍に撃破されます。
しかし、掠奪に夢中になったDQNコンビは、献帝の身柄を確保する事を
完全に忘れていました、こうして献帝は董承と僅かな供をつれて、
間一髪で黄河を渡ってしまいます。
船を持っていない李傕と郭汜は、それを追う事は出来ませんでした。
こうして、郭汜は権力の源の献帝を失ったのです。
郭汜は、部下に裏切られて最期を迎える
献帝を失い、李傕と郭汜は、ただの一群雄に過ぎなくなります。
というより、長安も周辺も廃墟なので、食うにも困るただの山賊でした。
西暦197年、献帝を保護した曹操(そうそう)は、謁者僕射の裴茂(はいぼう)に
関東の諸将を統率させて、長安の李傕を攻撃させ撃破、三族を皆殺しにします。
郭汜は、郿に籠城していましたが、部下の伍習(ごしゅう)という者が叛き
これに殺されて最期を迎えたのです。
李傕・郭汜祭、kawausoの一言
郭汜を一言で言うと、李傕の劣化版という感じですね。
地味ですが、残虐性も頭のレベルも同じ位、董卓のような革新性もなく
ただ、ひたすら献帝の威光に寄生して贅沢を尽くし、自ら本拠地を戦争で破壊し
献帝を失うと同時に、賊に落ちて曹操に殺されてしまいます。
自慢の腕力を振り回す以外に、身を立てる術を知らなかった郭汜は、
おそらく何故自分が失敗したか?さえ理解できずに死んでいったのでしょう。
次回記事:【李傕・郭汜祭り 3日目】殺されてしまった悲劇の樊稠(はんちゅう)