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王朗からの手紙「You降っチャイナ」に諸葛亮ガチギレ

2018年5月5日


 

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三国志演義(さんごくしえんぎ)で、()(しょく)の会戦前に、魏の司徒・王朗(おうろう)と蜀の丞相(じょうしょう)諸葛亮(しょかつりょう)舌戦(ぜっせん)をしたというシーンがあります。王朗は舌戦に敗れて憤死(ふんし)しますが、それは三国志演義のフィクションで、歴史書の正史三国志やその注釈(ちゅうしゃく)には二人が舌戦した記録もなければ、王朗の死因についての記録もありません。舌戦はしていませんが、王朗は諸葛亮にお手紙攻撃をしていたようです。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

※三国志演義は、歴史書の正史三国志やその注釈を元ネタにして作られた歴史物語小説です。吉川英治さんの三国志(小説)や横山光輝さんの三国志(漫画)のストーリー展開はおおむね三国志演義に基づいています。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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魏の重臣たちから諸葛亮への手紙

 

正史三国志諸葛亮伝の注釈にひかれている『諸葛亮集』に、こんな記述があります。

 

この年、魏の司徒華歆(かきん)・司空王朗(おうろう)・尚書令陳羣(ちんぐん)・太史令許芝(きょし)謁者僕射(えっしゃぼくや)諸葛璋(しょかつしょう)

各自諸葛亮に手紙を送り、天命と世の趨勢(すうせい)について説明し、国をあげて藩国(はんこく)

なることを要求した。

 

「この年」というのは西暦223年、蜀の初代皇帝劉備(りゅうび)が亡くなった年です。諸葛亮は劉備オヤビンの臨終(りんじゅう)の際、「もし我が子に才がなければ君が国を取れ」と言われていて、《なんとおっしゃるウサギさん、そう言われてハイそうですかと取れるわけないじゃないですか、これからも粉骨砕身(ふんこつさいしん)してしもべとして働かせて頂きますよ、憎いねコノ!》と思っていたはずなので、魏の重臣たちから《オヤビンが死んだんだから俺らの子分になれよォ》と言われても聞く耳もつわけないです。

 

 

亡くなる劉備

 

これからは俺がリーダーじゃ、みんな言うこと聞けよ、って一致団結して蜀をもりあげようと思っている矢先に、魏の司徒だの司空だのといったそうそうたるメンバーからバラバラと降伏勧告の手紙がきたらうっとうしかったでしょうね。《っだようっせえなぁ。降伏なんてするわけないだろ。無礼だよ》って怒っちゃうとこです。

 

 

王朗から許靖への手紙

 

諸葛亮が受け取った降伏勧告の手紙は残っていませんが、蜀で司徒にまで昇った許靖(きょせい)が数年前に王朗から受け取った手紙が、許靖伝の注釈に引かれている『魏書(ぎしょ)』に載っています。許靖は先ほど述べた諸葛亮への手紙を書いたメンバーのうちの華歆、王朗、陳羣と親交があり、国境をまたぎながら手紙のやりとりをしていたそうです。王朗の手紙の書き出しはこんな感じです。

 

平安におすごしのこと、たいへん結構に存じます。

お別れしてから三十余年たちましたが、〔その間〕お会いする機会がないとは

思いもよらないことでした。詩人は一日の別離を歳や月にたとえております。

 

良い感じの友情レターですよね。このあと、あなたの近況を人づてに聞いていました、みたいな話が続きますが、下に引用するあたりからだんだん文脈(ぶんみゃく)があやしくなってきます。

 

天子さま(曹丕(そうひ))は東宮におられましたときから、即位された後まで、つねに

すぐれた人物をお集めになって、現存する天下の傑人について論じられました。

いったい人間はみなたやすく英才になり得、士人は全部が全部たやすく

最高の評価を受けられましょうか。だから、〔私は〕みだりに原壌(げんじょう)(孔子の旧友)と同じ

やくざな素質を持ちながら、孔子のごとき天子さまの情愛あふれる寛容(かんよう)さに

感激いたし、いつも足下(そっか)を最も策謀にすぐれた人物と申し上げてまいりました。

 

このあと「昔なじみと生き方をともにすることの幸いを考えてください」とはっきり書かれています。なんだよ友情レターかと思って喜んで読んでいたら引き抜きの手紙かよ、プンプン、って感じですよね。手紙の末尾では「懐かしさがいっぱいで」とか「子供さんは男女あわせて何人おられますか」とか、友情っぽくまとめてありますが、用件はやっぱり引き抜きでしょう。

 

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敵から引き抜きの手紙が来たらどうする?

kawauso

 

こういうがっかりするメールや電話、ありますよねー。母校の知り合いから突然メールがきて、友情メールかと思って喜んで読んでいたら何かの勧誘(かんゆう)だったとか、販売だったとか。もし皆様が蜀の重臣だったとして、魏の重臣になっている友人から引き抜きの手紙が来たら、どうしますか? 私だったら、友達だと思ってたのに失礼だよ、と思ってポイッと捨てちゃいたいところですが、そう思いつつも万が一の時のためにそっと保管しておきますね……。

 

陳平

 

蜀があやうくなってきたら、友達づらして魏に転がり込むんです。というか、日頃から情報交換をして、あやうくなる前に脱出しよう。うん、それがいい。(三国志演義で天誅を加えられそうな雑魚キャラ的発想ですな)

 

 

手紙を受け取った諸葛亮の反応

孔明

 

諸葛亮が受け取った降伏勧告状の話に戻りますが、先ほども書きましたように、手紙の内容は残っておりません。無礼だよ、って怒った勢いで捨てちゃったんでしょうかね。

 

そうだとすれば、根性入ってますよね。絶対に降伏しないという覚悟がなければ、手紙、捨てられませんよ。(国を挙げて降伏しろという手紙なので、許靖が受け取った個人間の友情レターとはニュアンスが違いますが)捨てたかどうかは分かりませんが、『諸葛亮集』によれば、諸葛亮は降伏勧告の手紙には全く返事を送らなかったそうです。

 

そして「正議(せいぎ)」という文章を作って国内向けのメッセージを発信しています。書き出しはこんな感じです↓

 

項羽

 

昔、項羽(こうう)の場合は、徳義によらないで旗挙げしたため、中原におり、皇帝の権力を

もちながら、けっきょく釜ゆでの刑を受け、永く後世のいましめとなった。

魏はその手本をかんがみないで、いまこれに続こうとしている。

自分の身は幸いにして免れても、いましめは子孫に現われるであろう。

ところが、二、三の者がそれぞれ老齢でありながら、いいかげんな指令をうけて

手紙を寄こし、陳崇(ちんすう)張竦(ちょうしょう)王莽(おうもう)の功を賛美したようなおもむきがある。

 

王莽

 

王朗たちから受け取った手紙への不快感を示しております。このあと、魏の悪口を書いて、蜀は少人数でも強えって書いて、団結ガンバローみたいなノリで終わっています。

 

孔明

 

《丞相は魏の重臣たちから降伏勧告状をいっぱい受け取ってるけどどうするの?》って不安に思っている群臣に、手紙なんて無視するし! 戦うし! 俺らは勝つし! って言って、みんなの不安をバトルエネルギーへと変換させたんですね。

 

※「バトルエネルギーへと変換」という言葉の出典は漫画「SWEET三国志」です。

※「正議」で項羽が釜ゆでになったと書いてありますが、『史記』の記述と違いますね。異聞?

 

諸葛亮

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

よかミカンの独り言

 

三国志演義で王朗と諸葛亮が舌戦するというシーンは、上に挙げたような文章の応酬からインスピレーションを受けて書かれたものではないでしょうか。諸葛亮が魏と戦う決意を示した文章としては「出師(すいし)(ひょう)」が有名ですが、王朗たちからの手紙にブチキレながら書かれたらしき「正議」もなかなか熱量があって素敵です。

 

演義をかたちづくっていった人たちも、きっと「正議」の熱気に感応して、諸葛亮VS王朗をドラマチックに盛り上げたくなったのではないでしょうか。そう考えれば、あそこはやっぱり名シーンなんでしょうかね?……いや、でもやっぱり、舌戦に敗れて憤死っていう演出は、あんまりすぎるなぁ……。

 

和訳引用元:ちくま学芸文庫『正史三国志5』井波律子訳

 

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よかミカン

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三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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