彼が悪役として魅力的な所以は、
その完璧さにあると言っても過言ではないでしょう。
軍の指揮をとるのにも、政治をするのにも長け、
危機に陥っても機転を利かせて切り抜ける…。
劉備の前に立ちはだかる完全無欠の強大な敵・曹操ですが、
なんと彼は文芸にも秀でていたのです。
そんな彼は文才を持つ者を愛し、
幾人かの文人を囲ってサロンを開いたのでした。
その文学サロンに参加していた文人たちは「建安の七子」と呼ばれていますが、
その中でも異色の経歴を持つ者がありました。
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袁紹に頼まれて檄を飛ばした陳琳
『三国志』の物語の始まりの頃、
宦官たちが権勢を奮い、
後漢の政治は乱れに乱れきっていました。
ちょうどその頃、
ある文人が何進という外戚に仕えていました。
その人の名は陳琳。
妹が皇后になったことによって成り上がっただけの何進に対しても、
その身を案じて忠言をする人物でした。
何進が宦官を誅殺すると息巻いたときにも、陳琳は猛反対。
しかし、その甲斐虚しく何進は宦官によって殺害されてしまいます。
その後、陳琳は袁紹の元に身を寄せることになりました。
後に数々の群雄たちが淘汰され、
袁紹と曹操の2人だけが勝ち残ると、
いよいよ両者の衝突が起こります。
これが、天下分け目の官渡の戦いです。
袁紹は曹操との戦をはじめるにあたり、
陳琳に檄文を書かせます。
曹操がかわいそうになるほどの悪口の数々…
その檄文の内容は、
思わず目を覆いたくなるほどのもの…。
「曹操という奴は、あの肥え太った宦官のぜい肉から生まれた醜い奴で、
そんな奴だから生来徳など持ち合わせていないのだ。
軽薄でずる賢くて尖ったヤクザのような奴で、
波乱や災いが大好きで仕方がないしょうもない奴。
こいつはせいぜい鷹か犬くらいの才能しか無いから、
その爪や牙くらいしか役に立たないだろう…云々」
曹操だけではなく、その父や祖父まで罵り、
この悪党を袁紹と共に打ち倒そうと呼びかける稀代の銘文(?)。
よくもまぁ、これだけの悪口が思い浮かぶものです…。
しかし、この檄文によって袁紹軍の士気は一気に高まったのでした。
捕虜になった陳琳
ところが、袁紹は曹操に敗れてしまいます。
鄴城が曹操の手に落ち、
あの檄文を書いた張本人である陳琳も捕まってしまいました。
曹操は例の檄文を陳琳に読むように指示。
素直にペラペラと饒舌に檄文を読む陳琳。
それを聞いた曹操は大変感心したものの、
自分の父親や祖父までもを辱めたことについて
陳琳を咎めます。
すると陳琳は次のように答えたのでした。
「引き絞った矢を放たずにはいられないでしょう。」
これを聞いた曹操は陳琳を許してしまいます。
曹操は陳琳の文才に魅せられてしまったのです。
自分をこんなにこき下ろした相手を許してしまうなんて…。
その懐の深さというか、
文才への愛の深さには驚きを隠せませんね。
曹操が文学を愛した理由
それにしても、
なぜ曹操はこれほどまでに文学を愛したのでしょう。
曹操は文学サロンを立ち上げることによって、
儒教を凌ぐ一大勢力を築こうとしたという説が打ち立てられています。
祖父が宦官であった曹操は、
周囲の人に軽んじられることが度々ありました。
儒教には「孝」の考えがあり、
子孫をたくさん残すことこそが大切だとされていました。
しかし、宦官は去勢されているために
子孫をのこすことができません。
そのため、儒教が浸透していた世では、
宦官は「不孝」の象徴として
軽んじられていたのです。
自分ではどうしようもないことを
やいのやいのとはやし立てられた曹操は
くやしくてたまらなかったことでしょう。
そして、ついに、
儒教を国教としていた漢が揺らぎ、
曹操の儒教への疑念が確信へと変わったのです。
「儒教で国をどうこうするのは既に古い。」
そう考えた曹操が行き着いたのが、
文学だったというのです。
曹操の文学サロンが詩の地位を高めた
詩によって自分の心の内を露わにすると、
なんだか心地よい気分になれる…。
そのことに気がついた曹操は、
文人たちを集めて詩文を交わし合います。
そこではたくさんの言葉が飛び交い、
ついに建安文学をつくり上げるまでになったのです。
楽府という民謡を文学に昇華し、
戦争や社会、未来に対する思いを見事に歌い上げた彼らによって、
文学、特に詩の地位は一気に高まったのでした。
三国志ライターchopsticksの独り言
魏の初代皇帝となった曹操の息子・曹丕は、
父の意志を継いで詩文の重要性を説きました。
「詩文をあらわすことは国を救う大業であり、朽ち果てることのない大事である。」
この言葉は曹丕の著書である『典論』に見えるものです。
この思想は魏が滅んだ後の漢民族王朝にも脈々と受け継がれ
漢民族は文化的先進民族としての地位を築き上げます。
この文化的先進性は異民族から羨望の眼差しを受け、
それまで武という物差ししか持ち得なかった彼らに、
新しい価値観を植え付けていったのでした。
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