220年、魏の曹操(そうそう)の跡を継いだ息子、曹丕(そうひ)は魏王(ぎおう)という身分では満足できず、献帝(けんてい)に譲位をせまり、自らが皇帝の地位につきます。
さらには、献帝は殺害されたという噂も広まります。これを受けて、蜀では諸葛孔明(しょかつこうめい)らを筆頭に、劉備を帝位につけ、漢王朝を継承させようという動きが広まりました。
この記事の目次
劉備はイヤだと固辞する
「逆賊曹丕なんかと同じことはしたくないもん!」と、忠義の人、劉備はもちろん皇帝になることを断りました。
そもそもその前年の219年、魏王に即位した曹操に対抗するために、孔明は劉備にこうすすめていました。
「劉備様、それではあなたは皇帝になるのです」
しかし、劉備は決して首を縦に振ることはなく、
「漢中王」に即位することで決着をしていました。
たった一年後に、「やっぱり皇帝に」なんて気持ちがかわるわけがありません。なんとしてでも劉備を帝位につけたいと望む孔明は一計を案じました。
孔明、渾身の芝居
孔明は、病を得たといって自宅にこもります。仕事の鬼で、常に劉備のそばにいた孔明が、突然何日も出仕しなくなったため、劉備はびっくりします。
聞けば、孔明は重病だというのです。慌てて見舞いに訪れた劉備に、孔明は弱々しい声で告げます。
「わたしはもう長くありません。いままでありがとうございました」
そんなことを言われて、義兄弟の関羽を失ったばかりの劉備は、ちぢに乱れて嘆き悲しみます。
孔明はここぞとばかりに言いました。
「ああ……、劉備様の皇帝即位を見られないことだけが
心残りだなぁ(ニヤリ)」
劉備は、孔明の手を握りしめて約束しました。
「そなたの病が治るなら、即位なんていくらでもするから!!」
すると、孔明は、すんなりと起き上がり、にっこりほほえみます。
「それはよかった! あ、病ですか? 今、治りました」
なんと、孔明の背後には、諸官たちも隠れていて、
「ついに皇帝に即位してくださるって!」
「やったな、おい」
と騒ぎ出します。
劉備ははかられたと気づいたものの、こうなっては引っ込みが尽きません。皇帝に即位することを決意しました。
こちらの記事もよく読まれています
よく読まれてる記事:魏延(ぎえん)ってどんな人?|裏切り者?それとも忠義の士?
よく読まれてる記事:曹操は健康オタク?三国時代のロングブレス健康法
よく読まれてる記事:集まれ曹操の25人の息子たち・その1