関羽と言えば様々な戦いでその強さを見せつけ、劉備の手助けをしてきた歴戦の勇士。三国志演義で描かれた関羽の様々な一騎打ちのシーンは、どれも本当にカッコ良くて素敵です。
しかし三国志で読んで見ると、実は一騎打ちのシーンは殆どないって知っていますか?そこで今回は関羽に焦点を当てつつ、演義の一騎打ちの多さの謎についても迫っていきたいと思います。
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三国志演義での関羽の一騎打ち
では三国志演義の方から、関羽の一騎打ちを見ていきます。その回数はなんと20回以上、黄巾の乱に始まり、最後は麦城の戦いまで華々しい一騎打ちを繰り広げていきます。
個人的な好みを挙げますと、白馬の戦いで曹操への義理を返すために袁紹軍の武将顔良を一太刀で切り捨てるシーン、それと老将軍で有名な黄忠との一騎打ちでお互いに相手の武勇を認め合うシーンが好きですね。
どれもこれも関羽の強さ、そして何よりも高潔さを表すかのような、華々しさの中に清廉さも感じられる一騎打ちのシーンとなって描かれています。ではこれが三国志になるとどうなっているのでしょうか?
三国志での一騎打ち
さて三国志の一騎打ち、こちらになるとだいぶ話が変わってきます。というのも三国志はまず歴史書で、箇条書きのように何があったか、誰がいたか、どうなったかが羅列されているようになっているんですね。その中で一騎打ちの記述はほぼ出てこないと言っても過言ではないのです。
三国志の数少ない一騎打ちの記述として、関羽と顔良の戦いが挙げられています。しかし三国志の記述を見ると、戦いの中で顔良を見かけた関羽は敵軍の中にただ一騎で分け入って顔良を刺し殺した……となっています。
その後、関羽は顔良の首を手土産に戻っていきますが……これは、イメージの一騎打ちとかなり違いますよね。理想かもしれませんが、一騎打ちというとお互いに名乗りを上げた上での戦い、という感じがしてしまいます。
こちらの記述になると、どうしても戦場でたまたま出会ったから討ち取った……というイメージになってしまいます。
あの名シーンの数々は、あくまで演出
繰り返しになりますが、三国志には一騎打ちというシーンは殆どありません。良く考えて見ると戦場で武将同士が打ち合いをするというのは、かなり特別な状況です。リアルに自分たちの命運がかかっていますから、言い方は悪いですが綺麗事で戦争はできないでしょう。
しかしそれでは読み物として盛り上がりに欠けます。そこで三国志演義では、一騎打ちのシーンを多く描いているのでしょう。民衆に受けるための演出です。だからこそ三国志演義は多くの人たちに楽しまれて来たと思います。
どうしてこんなに一騎打ちのシーンが描かれたのか?
ですがどうしてこんなに一騎打ちのシーンが描かれたのか、ちょっと気になりますよね。そこで三国志に比べて三国志演義で一騎打ちのシーンが多い理由を、考察をしてみました。
もちろん一騎打ちのシーンが多い方が盛り上がって面白い、というのはあるでしょう。しかしそこに「戦いの美学」があると思うのです。皆さんもご存知の通り、三国志では病死した武将が、三国志演義になると敵に討ち取られて死亡してしまうというのは珍しいことではありません。
これはつまり「病死」よりも「戦いで死ぬ」ことの方が、武将としての誉れと考えられていたのではないでしょうか?
それと例えば関羽に一騎打ちで討ち取られてしまう、これはただの関羽カッコいい演出ではありません。関羽という武将によって討ち取られた、関羽と一騎打ちをすることができた、あの関羽が一騎打ちをした武将なんだよ!という表現も加えられていると思います。
その例として討ち取られてはいないものの、黄忠が挙げられますね。関羽と一騎打ちで引き分けるだけでなく、お互いの能力を認め合うというシーン……この演出を加えていったのが、三国志演義という物語のミソなのかもしれませんね。
三国志ライター センの独り言
三国志演義を見てから三国志を見ると、盛り上がった戦いもサラリと書かれていてちょっと驚きます。しかしだからこそ、三国志演義は面白いのだと思います。三国志と同じく、三国志演義もまた面白い読み物です。
どちらか一方ではなく、両方の差異を楽しんでみて下さいね。
参考記事:
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