今回は三国志の末期に注目していきたいと思います。三国志も終盤になると様々な武将たちが亡くなっていき、段々と三国から晋へと変化していくのが読み取れますね。
そんな末期の人物たちの中でも、数奇な運命を辿ることになった夏侯覇、羊祜、そして三国志の終焉の立役者とも言える司馬昭。今回は彼らの関係について、少し見直してみたいと思います。
「夏侯覇 司馬昭」
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司馬昭の台頭
早逝した兄に代わって時代を晋へと進めていく司馬昭。
彼の台頭は父である司馬懿、兄である司馬師と共に行われる曹爽へのクーデターからと言っても過言ではないでしょう。これによって曹爽の一族はことごとく処刑され、曹爽に代わって司馬一族が覇権を握るようになってしまいます。
この時点では司馬一族はあくまで曹魏の配下ですが、皇帝は最早お飾りとしての存在であり、後に皇帝・曹髦はこのことを己の不徳の致すところと詩を読むなどしています。この頃には既に司馬懿、司馬師は亡くなっているので、魏の覇権は司馬昭が握っていることになります。
立場が危ぶまれる夏侯覇
司馬昭が、というより司馬一族のクーデターで身の危険を感じ始めたのが、曹一族と関係深い夏侯一族です。特に夏侯覇、夏侯玄は曹爽と親しかったとも言われており、完全に政権争いに敗北したこともあって二人は自分の身を案じ始めます。
後に夏侯玄は司馬昭により処刑されますが、夏侯覇は出奔して亡命を成功させます。ただ、この亡命国が夏侯覇の件で問題にされることが多いですね。
というのも夏侯覇の亡命国は蜀、親戚を頼ってのことですが蜀は魏の敵であり、何より夏侯覇の父親である夏侯淵を討った国でもあります。このため夏侯覇が亡命すると親族たちは夏侯覇に絶縁状を叩き付けることになります。
両名ともに関係者だった期待のニューカマー・羊コ
しかし夏侯覇に絶縁状を叩き付けなかったのが、夏侯覇の娘と結婚していた羊コ。彼は逆に義父の身を案じ、妻を労わったと言います。
羊コは三国志末期に出てくる人物の一人で、司馬昭、司馬炎からは信任され、部下や民からの評判は非常に良いという期待のニューカマー。しかも彼の姉は司馬師の妻であり、自分の妻は夏侯覇の娘、司馬昭の妻である王元姫は母親が羊一族と、対立した司馬家、夏侯家両方に深く関係していた人物です。司馬昭の腹心として活躍しながらも、父である夏侯覇の娘のため世間にきつく当たられる妻を大切にしたと言います。
夏侯覇の亡命は、正しかったのか?
さて前述したように夏侯覇の亡命によって残された一族たちは大変に苦労したようです。しかも実は同じく夏侯淵の息子である弟・夏侯威は司馬一族の政権下でも重用されました。晋の時代になっても夏侯家は続いたのです。結果論で言えば夏侯覇の亡命は、一族の立場を危うくしただけになってしまいますね。
なので個人的にこの夏侯覇の亡命理由について「亡命」ではなく「忠誠」からであればいいなと思わずにはいられません。ただ保身ではなく、父親を殺した蜀に降ってでも主家である曹家を蔑ろにしていく司馬一族に対抗したかった……そのために自分以外の一族からそしりを受けても、一族を危うい立場にしてでも行動した夏侯覇……という人物像を夢見てしまいます。そんな夏侯覇だったからこそ、羊コのような人物が配慮したのでは、と思うのです。
三国志ライター センのひとりごと
夏侯覇の司馬一族との対立、蜀への亡命だけを見返してみると、どうしても夏侯覇の行動が短慮、他人への配慮に欠ける行動に見えてしまいます。最初に読んだ時には優秀と言われる夏侯覇の行動として何だか納得がいかないようにも感じてしまいましたが、関係者である羊コを絡ませて考えると、また別の側面が見えてくるような気がしてきました。
こういったただその人物だけの履歴を追うのではなく、他の人物との関連性を考えるのも三国志の楽しみ方の一つですね。夏侯覇は終焉に続いていく三国志末期、それでももしかしたらまだ諦めていない人物たちは、数多くいたのかも……そう思わせてくれる武将の一人だと思います。
参考文献:晋書羊コ伝 魏略
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