陸遜と言えば音に聞こえた名将、そしてその息子である陸抗もまた晩年の孫呉を支えた名将です。そんな陸抗ですが、孫権、そして孫晧と二度に渡って詰問されるシーンがあります。
三国志演義ではこの詰問が元で父親と同じく憤死するという最期を迎えていますが、正史ではそうではありません。今回はこの詰問シーン、特に孫晧の詰問の理由についてふと思いついた理由を述べさせて頂きたいと思います。
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この記事の目次
陸抗を孫権が詰問する!(一度目の詰問)
245年に父親である陸遜が(多くの場合で)憤死すると、兄に代わって陸抗は跡を継ぎました。この際に孫権はまだ陸遜に対する不信感があったのか、陸抗を詰問します。しかし陸抗は臆せず、はっきりと父親である陸遜の忠義と正当性を主張、それに感動した孫権は陸抗に詫び、そして陸抗は孫権からの信用を勝ち取りました。
晋の名将・羊コ
さて時代は流れますが、陸抗は晋と戦うことになります。その相手となったのが晋の将、羊コ。
彼もまた優秀な人物であり、夏侯淵の息子、夏侯威は姪を嫁がせました。この姪は夏侯覇の娘なので、実は夏侯家の親戚になる人物です。そんな羊コと陸抗は名勝負を行うが、名将は名将を知るというのか、敵味方であっても友情を結んだと言われています。
陸抗と羊コの不思議な友情
陸抗と羊コの不思議な友情を知ることができるエピソードを一つ紹介しましょう。
陸抗が病気になった時、羊コが薬を送りました。陸抗の部下たちは「毒ではないか」と疑いましたが、陸抗は構わずに飲んだと言います。お礼として陸抗はお酒を造って羊コに送りました。羊コの部下たちは「毒ではないか」と疑いましたが、羊コもまた構わずに飲んだと言います。
敵同士であっても信頼し合っていたのですね。しかしこの話が後々禍根を呼び寄せてしまいます。
陸抗を孫晧が詰問する?(二度目?)
三国志演義ではこの話を聞いた孫晧は陸抗を疑って、降格処分をしてしまいます。これに怒った陸抗は失意の内に病死……皮肉にも父親と同じく憤死となっているのです。しかしこれはあくまで三国志演義、正史では孫晧は陸抗を詰問こそしたようですが、降格などの処分はされていません。陸遜との繋がりや、孫晧の暴君的なエピソードを挿入したと考えて良いでしょう。
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