三国志の時代、全ての人物たちが覇者を夢見る時代。全ての人々が最初から力を、土地を、兵力を持っていた訳ではありません。そして同時に、持っていた力をずっと失わなかったわけでもまた、ないのです。
父であった孫堅が死に、混乱の中でも再び天下に飛翔した孫策。そしてその孫策を、そして孫呉の飛翔を支えた人物、朱治のお話をしたいと思います。
この記事の目次
孫堅を支え、孫策を助けた朱治
朱治は元々は県の役人でしたが、孝廉に推されて州の従事を行っていた時から孫堅の配下となったようです。孫堅の配下となった朱治は異民族との戦い、董卓との戦いなどで功績を挙げていきます。そして督軍校尉となりますが、孫堅が横死してしまいます。
その後は孫権の息子・孫策を支え、江東の地を基盤として天下に飛翔する手助けをしていくのです。
慎み深い、思慮深い性格
そして孫策亡き後はまだ若い孫権を支えていった朱治は着実に出世していきます。最終的に安国将軍になりますが、呉郡太守を兼務のまま故郷の故鄣に赴任が認められるなど孫呉でも特例が認められるような、高い功績を持った人物でもあります。しかしそんな身分となっても質素倹約な生活を送り、慎み深く、また孫権の弟で性格にちょっと難があった孫翊を諫めるなど、思慮を巡らす人物でもあったそうです。
重臣であることが伝わる伝
そんな朱治は正史三国志にもしっかりと伝が残されています。それは巻にして五十六、朱治朱然呂範朱桓伝に残されているのです。
お気づきでしょうか?
そう、朱治は巻の一番先に名前があり、そこには「孫堅が別動隊を朱治に率いさせた」「黄巾賊の残党討伐のために援軍として派遣した」と記されているのです。この時点で朱治が如何に孫堅に信頼されて、孫呉でも特別な位置にいたということが伝わってきますね。
朱治はマイナー?
ただそんな朱治ですが、残念ながら現代ではそれほどピックアップされていないように思います。調べれば調べるほど孫呉でも黄蓋や程普に並ぶ、いや、それ以上かもしれない朱治の存在。それは孫呉の基盤の土地とも言える呉軍太守を長年務めたことからも分かります。そんな朱治はどうして現代ではそれほど注目されないのか?
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