『利家とまつ~加賀百万石物語』とはどんな内容?天下人と身近に接した前田利家

2020年6月27日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

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利家とまつ amazon

 

大河ドラマ「利家とまつ」について解説します。2002年に放映されたこのドラマは、いわゆるトレンディドラマ俳優を多数抜擢したことで話題になりました。そんな物語の主人公「前田利家(まえだ としいえ
)
」とその妻「まつ」の生涯を紹介した内容を、配役らと共に確認します。(なお本文中に登場する役者は敬称略)

 

2002年のNHK大河ドラマは加賀百万石がテーマ

 

 

利家とまつ~加賀百万石物語〜は、2002年のNHK大河ドラマで、1月6日から12月15日までの間に放送された作品です。大河ドラマとしては41作目。内容は江戸時代に加賀百万石と言われた加賀藩の祖・前田利家(まえだとしいえ)とその妻・まつの物語です。主演の利家役は唐沢寿明からさわとしあき)、まつ役を松嶋菜々子(まつしまななこ)により演じられました。

 

作品としては利家とまつのふたりが出会って結婚し、やがて戦国大名として信長、秀吉の時代を生き抜き、最終的に家康から加賀藩110万石(加賀・越中・能登の3国)を拝領した人物として描かれています。そしてこのドラマは今までの大河ドラマと少し趣が異なったのがその配役。当時民放で視聴率が取れるトレンディドラマで活躍した若手俳優を数多く採用した点が大きな特徴です。唐沢・松嶋もそんな俳優のひとりでした。

 

利家とまつに登場する織田信長は反町隆史

 

さらに松嶋のリアルでの夫で、入籍直後でもあった反町隆史(そりまちたかし)も、織田信長(おだのぶなが)役で登場するなど話題沸騰。ビデオリサーチ社が調べたところ、平均視聴率が22.1%、最高視聴率が27.6%を記録しました。そして地元石川県では40.5%と驚異的な平均視聴率。地元で愛されたドラマであることがうかがえます。

 

若いころの前田利家は槍の又左衞門

前田利家

 

利家は、前田利春(まえだとしはる)(ドラマ上では菅原文太(すがわらぶんた)演じる利昌(としまさ))の四男として1529(天文7)年に尾張の荒子村(名古屋市中村区荒子)に生まれました。幼名は犬千代(いぬちよ)と言います。父・利春は織田家筆頭家老の林氏に仕えていました。利家が14歳になると信長の小姓となります。当時の利家は短気で喧嘩早い若者。「かぶき者」と呼ばれる派手な格好を好みました。

 

無断参戦して手柄を立てる前田利家

 

元服して前田又左衞門利家と名乗ります。初陣から首級をひとつあげる功績をあげました。また槍を駆使して闘ったことから「槍の又左衞門」との異名を持ちます。この功績は目を見張るものがありました。それは敵に矢で右目下を追い抜かれながらも、逆に打ち取っています。その甲斐あって信長からは親衛隊的な直属部隊「赤母衣衆(あかほろしゅう)」筆頭に抜擢されました。さらに100貫の加増をうけるなど、確実に出世して行きます。そしてそのころに「まつ」と結婚しました。

 

茶坊主で信長の寵愛を受けた拾阿弥との関係性

 

ところがそんな矢先に事件が起きます。茶坊主で信長の寵愛を受けた拾阿弥(じゅうあみ)(ドラマでは出光秀一郎(いでみつしゅういちろう)が演じる)。彼は信長の威を借る狐のような存在で、配下の武将に横柄な態度を取りつづけました。利家に対しても、まつの実父の形見とされた「佩刀の笄(こうがい)」を盗んだり、侮辱を重ねたりします。ついにたまりかねた利家が、信長の面前で拾阿弥を殺害。

ちょっとしたことでブチ切れる織田信長

 

激怒した信長により出仕を禁じられてしまいます。

利家の妻まつ「芳春院」は、2男9女を産む母親

 

利家の妻まつは、1547(天文16)年に尾張国の沖島(愛知県あま市)に生まれました。父の名は篠原一計(しのはらかずえ)(:ドラマで史朗(しろう)が演じる)。3歳の時に父を亡くしたあと、母の妹が嫁いでいる利家の父・前田利春に養育されました。つまり利家とは従兄弟にあたります。それが縁となり、利家の元に数え12歳のときに嫁ぎました。

 

史実でのまつ

同年小録(書物・書類)

 

史実としてのまつは、子宝に恵まれたことで有名です。嫡男で初代加賀藩藩主となる利長をはじめ、2男9女を産みました。一番最初に産んだのが後に利家の同族、ドラマでは辰巳 琢郎(たつみたくろう)が演じた前田長種(まえだながたね)の妻・幸姫(こうひめ)。これは、まつが満11歳11か月で生んだと伝わります。ちなみに幸姫は幼少期から成長に至るまで、複数の人物が演じました。そのほか豊臣秀吉の側室や宇喜多秀家(うきたひでいえ)と言った戦国の名だたる人物の元に嫁いだ娘たちがいます。

 

またもうひとりの男子が次男・前田利政(まえだ としまさ)は、能登七尾城の城主となるなど出世しました。しかし関ヶ原の戦いで西軍側についたため、所領が没収されてしまいます。ちなみにまつは、1617(元和3)年まで生きました。利家亡き後は、芳春院(ほうしゅんいん)と名乗っています。

 

織田信長との関係と前田家家督相続

キレる織田信長

 

拾阿弥を殺害した利家は、信長により出仕を禁じられます。信長の性格や当時の雰囲気では成敗もあり得た事件ですが、柴田勝家(しばた かついえ
)
らの取り成しで、出仕停止処分で住んだという背景がありました。

 

若き頃の織田信長に敗れる今川義元

 

しばらくの間は浪人暮らしとなる利家ですが、転機となったのが桶狭間(おけはざま)の戦い。まだ出仕解除ではなかったものの、圧倒的に軍勢の少ない織田軍に勝手に参加して、敵の首を3つも捕る活躍を見せます。しかしまだ帰参が許されませんでした。

 

森部の戦いにおいて勝手に参戦する前田利家

長い槍が得意な前田利家

 

翌年に美濃の斉藤龍興と行われた森部の戦いにおいても利家は勝手に参戦。美濃方の武将足立六兵衛(あだちろくべえ)を打ち取ります。ドラマでは大八木淳史(おおやぎあつし)が演じた「首取り足立」との異名を持つ怪力の斉藤家重臣。これを打ち取った功績はさすがに大きく、ここでようやく信長の許しを得ることができました。

 

森部の戦いから8年後、信長からある命令が下ります。それは前田家の家督を継いでいた兄・利久にかわって前田家の家督を継ぐというもの。ドラマでは三浦友和(みうらともかず)が演じた利久は、武将としての器が無いと信長に見られて前田家の座が奪われます。ちなみに利久に実子はいませんでしたが、養子に慶次郎こと利益(とします)がいます。

 

柴田勝家との関係と能登の城主

信長が大好きな柴田勝家

 

利家は信長の家臣ですが、やがて織田軍団が大きくなるについて、信長の直々の家臣ではなく、重臣の柴田勝家の家臣として活躍するようになります。拾阿弥を殺害への取り成しなど、利家の面倒を見た勝家をドラマで演じたのは、松平健(まつだいらけん)。ドラマでは利家とまつが「親父様」と呼んでいるほど親しい間柄です。

 

一向宗を1000人磔、釜ゆでにした記録が残る前田利家

 

1574(天正2)年に勝家の与力として越前の一向一揆の鎮圧に従軍。利家の活躍は一向宗を1000人磔、釜ゆでにしたという記録が残っています。そして佐々成政(さっさなりまさ)不破光治(ふわみつはる)と3人で10万石が与えられました。この頃は北陸方面への出陣が目立つ利家でしたが、信長の命により、摂津有岡城や播磨三木城への戦いに参加することもあり、勝家の与力でありながら、信長の直参として活躍する面も見せています。

 

前田利家の武勇を賞賛する信長

 

そして1581(天正9)年になると、ついに信長より能登国を与えられ、国持ち大名になります。七尾城主23万石を拝領しました。ここは専門家の意見が分かれますが、このときを持って加賀藩が事実上成立したと解釈されることが多いです。

時代ごとに異なる秀吉との距離感

 

利家にとって忘れていけない存在が、豊臣秀吉(とよとみひでよし)。ドラマでは香川照之(かがわてるゆき)が演じました。秀吉は信長に仕える時期が利家と近いことや、まつと秀吉の正室・おね(北政所:ドラマでは酒井法子(さかいのりこ)が演じる)とも親しいことから、親友としての関係が続きます。利家と違い、信長の元で確実に出世を重ねる秀吉。織田家の重臣だった丹羽長秀(にわながひで)と柴田勝家のようになりたいと「羽柴」の性を名乗るほどでした。

 

上杉謙信に敗れる柴田勝家

上杉謙信

 

1573(天正元)年には、すでに信長から北近江の所領が認められ「長浜」と改名するなど、利家と出世の面において大きく開いていきます。ところが1577(天正5)年に信長の命で越後の上杉謙信(うえすぎけんしん)との戦いの出陣した秀吉は、勝家と対立し、無断で帰参し信長を激怒させました。そして勝家は謙信に敗れます。

 

戦にめっぽう強い柴田勝家

 

勝家を(親父様)と呼んで慕っていた利家とは大きく違い、この頃から利家と秀吉両者の距離がしばらく開くようになっていきました。結局秀吉は信長の嫡男・信忠(のぶただ)の配下で功績をあげて大事には至らず、中国地方の責任者として宇喜多氏や毛利氏との戦いを開始。

 

敵は本能寺にあり!と叫ぶ明智光秀

 

そんな中、1582(天正10)年に本能寺(ほんのうじ
)
の変が勃発し、信長が死亡します。

 

本能寺の変から秀吉に従うまでと金沢入り

本能寺の変の織田信長

 

本能寺の変で信長が亡くなると、秀吉は一気に中国から引換しました。ドラマでは萩原健一(はぎわらけんいち)が演じる明智光秀(あけちみつひで)と山崎で戦い、それを討ち取ります。その頃の利家は、勝家と共に越後の上杉景勝(うえすぎかげかつ)の魚津城を攻める戦いのさなかでした。その後清州会議が開催され、信長の後継者問題で秀吉と勝家が対立。後の賤ヶ岳の戦いに発展します。

 

賤ヶ岳の戦いで柴田勝家と羽柴秀吉を対峙

豊臣秀吉が調子に乗っているので内心キレてる柴田勝家

 

利家は勝家側につきやはり秀吉と対立。それでも勝家の命で、秀吉との一時的な和睦の交渉を行いました。1583(天正11)年、ついに賤ヶ岳にて両者が激突。利家は勝家側の武将として賤ヶ岳の戦いにて5000の兵を引き連れますが、この頃から本気で戦うそぶりを見せず途中で撤退しました。親友でもある秀吉との関係を悩んだとか、秀吉側からの接触があったとも。ドラマでは秀吉と利家・まつが対面するシーンがあります。

 

秀吉に衣替えする前田利家

豊臣秀吉の勢力に上手く乗り換える前田利家

 

そして秀吉側の勝利。秀吉に寝返ることになった利家は北ノ庄攻めでは先鋒をつとめ、最終的に勝家を死に追いやります。その結果秀吉は加賀・能登・越中を平定。利家には、能登に加えて加賀の国も与えました。そしてこのとき利家は能登から拠点を加賀に移し、金沢城を居城とします。ここは戦国時代に一向宗が支配していた尾山御坊があった場所で、しばらくは尾山城と呼ばれていました。しかし利家は元々の地名・金沢にあやかり、城の名前を変えたと伝わります。

 

前田慶次(利益)との関係

 

利家に前田家の家督が追われた、兄・ 利久には子がいませんでしたが、養子として前田利益(まえだ とします)がいました。彼は別名・前田慶次あるいは慶次郎と呼ばれた人物。若き日の利家に似た「かぶき者」として原哲夫(はらてつお)の漫画「花の慶次」に登場し、その名が知られています。またドラマでは世代の異なる3人の役者が演じ、利家やまつからは子ども扱いされていました。

 

滝川一益

 

元々は信長の家臣・滝川一益(たきがわかずます)の一族出身とされます。利久の養子に迎えられたものの、信長の命により利家から荒子城を追われてしまいました。しかし後に父・利久と共に能登の大名となった利家を頼ります。利家からは所領の内、7千石を与えられ、そのうち5千石が利益の所領になります。本能寺の変の頃は同族の滝川軍の先手となっていました。

 

小牧・長久手の戦いで、佐々成政(さっさ なりまさ)(:ドラマでは山口祐一郎(やまぐちゆういちろう)が演じる)に攻められた、末森状の救援などに向かいました。しばらくは利家と共に従軍しますが、1590(天正18)年以降に出奔。

 

利家との仲たがいが原因となっていますが、父・利久の死後、前田家との接点が無くなったことや、利家の嫡男・利長との不仲とも伝わります。しかし家族は残したままま。所領は子の正虎(まさとら)が継ぎ、彼は加賀藩士として仕えます。ちなみに利益は関ヶ原の合戦の頃までに越後の上杉家に仕えていました。ドラマでは父・利久が景勝を饗応したために絶賛されたというシーンがあります。

秀吉政権下での活躍

 

利家は、賤ヶ岳の戦いで秀吉側につき、能登と加賀を所領。その後秀吉は、対立していた徳川家康(とくがわいえやす)(ドラマでは髙嶋政宏(たかしままさひろ)が演じる)と小牧長久手の戦いを行います。そのタイミングで加賀と能登には佐々成政が侵攻。しかし利家はこれを撃破しました。北陸方面の守備、そして逆に越中に攻め入ったことを秀吉は評価しました。1584(天正12)年、ついに成政の降伏した後、前田家が加増されます。この時点で76万5千石まで所領を伸ばし、北陸道の惣職の地位を得ました。

 

セミナリオ(教会)

 

このころバテレン追放令が秀吉より出され、キリシタン大名だった高山右近(たかやまうこん)(ドラマでは沢村一樹(さわむらいっき)が演じる)が所領を放棄。キリストの信仰をとります。その右近を利家が招き、1万5000石を与えました。そして小田原討伐にも前田軍の武将として従軍。後に利家と家康が対立していたころには、金沢城で堀の掘削を指揮し27日で3キロ掘り上げたという記録が残ります。右近は利家の子・利長にも仕えました。しかし家康の命により国外追放令を受け、ルソン(フィリピン)でその生涯を閉じます。

 

また、朝鮮出兵の頃に、利家は北九州の名護屋に出陣。途中秀吉が母・大政所の葬儀などで京に引き返している最中は、秀吉に代り利家が軍を指揮します。やがて家康を怖れていた秀吉は、対抗馬として古くからの親友利家を重んじました。秀吉の子・秀頼(ひでより)傅役(もりやく)にも抜擢されています。

 

秀吉亡き後の一時的な天下と利家の死

上杉謙信

 

朝鮮出兵の頃から五大老という地位が確立しつつあり、利家もその中に列せられました。1594(文禄3)年には、上杉景勝、毛利輝元と共に従三位に叙位され、その3か月後には真っ先に権中納言に任ぜられます。利家の序列は五大老の中でも、家康と並ぶ上首の地位となりました。

 

この頃の利家は秀吉にとっては無くてはならない存在。しかしそんな秀吉が衰えてくると同時に利家も衰えが隠せなくなりました。1598(慶長3)年に家督を嫡男・利長(ドラマでは年齢と共に数名が担当し、最後は伊藤英明(いとう ひであき))に譲ります。この年秀吉は死去。死の直前まで利家に秀頼の将来を頼んだとされます。

 

1599(慶長4)年の元旦で秀頼に年賀の例を行った際に、利家は病身ながらも秀頼を抱き、それに応じていました。そして利家が大阪城に入り、実質的な主として振る舞います。このころは事実上利家が天下を取っているのと同じ状態。非常に短期間でしたが、このやり取りはドラマでもシーンがあります。

 

そんな中、家康はついに秀吉の法度を破り、伊達政宗(だてまさむね)らとの婚姻をすすめたため、利家が反発。諸大名が集結することになります。結果的に家康と利家は和睦。病床で伏している利家を家康が見舞ったとの記録もあります。そしてこの年の春に利家はついに病没。満60歳でした。

 

関ヶ原の後とまつの晩年

石田三成

 

利家が無くなると、いよいよ家康と石田三成らの五奉行との対立が激化。家康は利家が亡くなるタイミングを見計らって加賀の討伐を検討します。しかし利長は、母親のまつを江戸に人質に出すと提案。それを受け入れた家康は加賀攻めを撤回します。代りに攻撃対象としたのが上杉景勝。家康が景勝への討伐で大坂・京を留守にすると、ついに石田三成が動きだし、関ヶ原の合戦につながります。関ヶ原のときの利長は金沢を出陣し、西軍側に付いた大聖寺城にいる山口宗永(やまぐちむねなが)を攻撃。500の兵に対して2万の軍勢を用いたと伝わります。

 

ところが 弟の利政が軍務放棄するなどの反発的な態度に出たために、利長は家康に利政が西軍に加担したと訴えてしまいました。家康は弟・利政の所領を兄・利長に引き渡し、ついに100万石の加賀前田家が誕生します。まつは利政の赦免などを江戸幕府に訴えるなどしたものの、幕府に受け入れられず。そのショックで病床に伏してしまいました。

 

幕府はまつを、伊勢・京で保養させます。しかしこのとき金沢入りは認められません。それでも利長が1614(慶長19)年に没すると、まつは金沢への帰還をようやく認められます。そしてまつこと芳春院は、3年後の1617(元和3)年に、71年の生涯を閉じました。

 

番外:利家とまつが築き上げた加賀百万石・金沢の現在

 

利家とまつの主人公のふたりを祖として、加賀百万石を築き上げました。加賀藩は2代藩主前田利常が徳川秀忠の娘を妻に迎えるなど、徳川将軍家との関係も深く、利常の子・加賀藩三代目の前田光高(まえだみつたか)以降の歴代藩主は、将軍の偏諱(いみな)を拝領。徳川御三家が詰めるのと同じ大廊下の大大名として、明治の廃藩置県まで続きました。

 

そして金沢の町はそんな百万石の名残が残っている観光名所が多いです。金沢城をはじめ兼六園や武家屋敷、ひがし茶屋街などで見られる痕跡。さらに金箔や加賀友禅、九谷焼と言った伝統工芸が残されています。

 

戦国時代ライターーSoyokazeの独り言

soyokaze(ライター)

 

利家とまつはトレンディドラマの若手俳優を起用したために、当初は心配されています。とはいえ脇を固めるベテラン俳優との息も良く、それまでとは違う貫録ある役をそれぞれが演じていました。それ以上に前田利家とその妻まつの生涯も、紆余曲折ありながら夫婦の力で乗り切り、加賀百万石を構築していくさまは一見の価値があります。

 

参考文献:

NHKドラマ 大河ドラマ「利家とまつ」

大河ドラマ「利家とまつ~加賀百万石物語」NHK名作選

岩沢愿彦「前田利家」吉川弘文館

大西泰正編 「前田利家・利長」 戎光祥出版

宮本義己 「前田利家夫人―芳春院―」河出書房新社

 

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Soyokaze

ライター自己紹介: 旧石器から現代史、日本、中国、西洋とどの歴史にも興味があります。 小学生のころから歴史に興味があり、歴史上の偉人伝を呼んだり、 NHKの大河ドラマを見たりして歴史に興味を持ちます。 日本のあらゆる歴史に興味を持ち、旧石器や縄文・神話の時代から戦後の日本までどの時代も対応可能。 また中国の通史を一通り読み西洋や東南アジア、南米に至るまで世界の歴史に興味があります。 最近は、行く機会の多いもののまだあまり知られていない東南アジア諸国の歴史にはまっています。 好きな歴史人物: 蘇我入鹿、明智光秀、石田三成、柳沢吉保、田沼意次(一般的に悪役になっている人たち)、溥儀、陳国峻(ベトナムの将軍)、タークシン(タイの大王) 何か一言: 勝者が歴史を書くので、歴史上悪役とされた敗者・人物は本当は悪者では無いと言ったところに興味を持っています。

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