筆者が個人的に三国志の中でも好きな武将、トップランクにいるのが曹真です。そんな曹真をもっともっと評価して欲しい、知って欲しいという感情だけを閉じ込めて濃縮したのが今回の記事。
実は初めてみた三国志関連書籍、諸葛亮の噛ませだとか司馬懿の引き立て役とか言われている三国志演義の頃(?)から大好きな曹真を語っちゃいますよ!
曹真について
姓は曹、名は真、字は子丹。曹操の甥にあたる人物で、父の曹邵が曹操の旗揚げ時に豫州刺史に殺されたことから、遺児である曹真を引き取って実子の曹丕らと一緒に育てられました。
ただし一説によると秦伯南という曹操の友人の子とも言われています。しかし何晏のようにこの時代の養子は基本的に姓を変えないことが多く、もしくは出世してから姓を戻すことが多いので、個人的な判断ですが曹操の甥で、曹姓であったと思われます。
非常に優秀な名将
そんな曹真は若い頃から大変に優秀でした。狩猟で馬上から虎を射たことから、曹真に直属の部隊虎豹騎の隊長を率いさせ、劉備との戦いでは戦功を積んでいった曹真は、夏侯淵が戦死した後に陳倉を任されることになります。
その後は涼州を含んだ蜀方面を担当することになり、異民族の反乱鎮圧などをやっていました。その後は魏中央に戻され、曹丕に死の際には司馬懿と共に曹叡の補佐を託され、曹叡が即位すると大将軍となりました。
対蜀方面を任された曹真
さて魏の蜀方面担当と言うと司馬懿のように思われがちですが、実は曹真こそ蜀担当です。諸葛亮の北伐を何度も防ぎ切り、諸葛亮の攻め込み先を読んで防衛するなど良く蜀から魏という国を守りました。
後に蜀に攻め込んだ時には補給が困難になったことから撤退してしまいましたが、そもそもとして魏で蜀に良く攻め込んだ武将は(鄧艾は例外中の例外として)ほぼいないので、決して曹真が攻め込むことが下手ということはないと言って良いでしょう。
清廉な人柄
そんな曹真は清廉な人柄でも有名でした。自分の恩賞や封地を分け与えたので将兵らに大変信頼され、上から下から良く慕われていた人です。
その曹真の息子である曹爽が司馬懿のクーデターにあって三族皆殺しになるも、曹真の生前の功績から家を残すことだけは許されました……曹真の功は彼亡き後でも、家と孫たちは守ることができたのです。
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