乱世の奸雄、治世の能臣と呼ばれた曹操。曹操の人生をざっと振り返ってみてみても、決して楽ではない、いくつもの困難にぶち当たっているのが見て取れます。
数多くの名将たちを迎え、多くの優秀な配下を持った曹操ですが、決して全てが彼の味方でなかったのも面白い所。一人の人物が英雄となるには、必ず相応の敵対者が生まれるものかもしれませんね。
そこで今回は(超絶個人的な主観による)曹操のライバルと言えばコイツだ選手権をやってみたいと思います!
この記事の目次
曹操とはどんな英雄?
曹操は、後漢末期に生まれ、そして三国志時代を駆け抜けた英雄の一人です。
知っての通り三国志のメインとも言える三国、魏の礎を築いた人物であり、オールマイティに何でもこなしてしまうかと思いきや、どこか親しみのわくお茶目な面もあり……そう言った才気に溢れるだけではなく、魅力にも溢れる人物が曹操です。
特に若い頃はかなりやんちゃな悪ガキだったようですが、20代になる頃にはきちんと仕官。しかしその才能はただの一官位では収まらなかったのでしょう。
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乱れた天下は出世のチャンス
さて既に漢王朝は崩壊寸前の世界。黄巾の乱が起こり、それを発端に曹操は天下に飛躍していきます。
暴虐を尽くした反董卓連合軍参加、黄巾賊の残党と戦い、悪名を名高くしてしまった徐州への報復攻撃。
猛将呂布との戦い、そして官渡へと……曹操の人生は激動の時代を迎えます。
曹操の享年は65歳。
戦いに次ぐ戦いの日々、それでもプライベートは楽しみ、数々の功績を歴史に残した英雄の、一つの時代の終わりでした。
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曹操の悪役化と再評価
そんな曹操ですが、どこかダークヒーローというか、悪役のようなイメージがないでしょうか?
これは三国志演義の影響が強い、強すぎた弊害とも言えます。三国志演義では劉備が正当な漢王朝の末裔であり、主人公格。その劉備と天下を争う曹操は帝位簒奪を目指す悪役のように描かれています。
しかしそんな曹操も再評価が進み、また正史の普及もあって漫画やゲームでも「英雄としての曹操」が描かれるようになってきました。
今回はそんな曹操のライバルと言えばコイツだ!を個人的な解釈で考えてみたいというのがコンセプトです。では前置きはここまでにして、早速見ていきましょう。
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賈クの言うことを良く聞く張繡
まず挙げたいのがこの張繡。張繡は曹操と幾度かの抗戦の後、降伏。
しかし曹操が張繡の兄嫁に手を出したことから恨みに思い、曹操もそれに気付いて張繡を暗殺しようとしました。
それに先んじて曹操に夜襲、これは時代の波乗りサーフィンに定評のある賈クの進言を聞き入れたもの。
この夜襲は大成功し、曹操の長男であった曹昂や豪傑・典韋を討ち取り、曹操を追い込むことに成功しました。
ある意味、曹操を誰よりも早く死の付近まで追い込んだ人です。
後にやはり賈クの進言から曹操に帰順、曹操は当時袁紹との戦いを控えており、背後の張繡が仲間になったことを喜びました。曹操を限界まで追い込み、その後に喜ばれて仲間になる……張繡は曹操の良いライバルの一人と言えるのではないでしょうか?
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