三国志の主役、蜀漢の皇帝として即位した劉備玄徳(りゅうび げんとく)は、
西暦161年に涿(たく)郡涿(たく)県で、
母一人、子一人の貧しい、筵売りの家庭に生まれます。
もっとも、家こそは貧しいものの、家柄は前漢の中山靖王 劉勝の末裔
というプリンスでした。
子供の頃の夢は皇帝になる事、そんな劉備が青年になる頃には、
中国は腐敗政治や天変地異で民の不満は暴発寸前でした。
こうして西暦184年に、太平道の教祖、張角が信徒30万人を率いて
武装蜂起し、ここに黄巾の乱が始まります。
この記事の目次
劉備は黄巾賊を倒したい気持ちでいっぱいだが・・・
劉備は世直しとは名ばかりで、略奪と狼藉を働く黄巾賊に、
憤慨し、これを倒したいと思いますが、お金も無い、仲間もいない
知名度も無い、、ないないづくしの貧しい23歳の青年です。
「義勇兵求ム」の高札を見ても、何もできない自分に
幾度と無くため息をついていると、、
「おいおい、いい若者が高札を前にため息とは情けねえ、、
一体どうしたってんだぁ」
そう言って絡んできたのが、当時16歳の肉屋を経営していた
豪傑、張飛でした。
ここまでの劉備は主人公となるのに条件が整いすぎ
とここまでの件を見ると、劉備という人物が少年漫画の
主人公として最適の環境にいるのが分かります。
貧乏、家柄は良い、志は高い、能力は平凡だが、努力家
何故か人の心を掴む魅力に溢れている。
古今東西の少年漫画のヒーローに、これらに該当しない
キャラクターなんているでしょうか?
人情に厚い張飛を動かした言葉
劉備は、年下の張飛に対し、
「私は漢王室の血を受け継いでいながら、
国家の緊急事態に対して何もできない、それを情けないと思うのです。」
と涙をこぼすと、人情に厚い張飛は、
「よく言った!兄ちゃん、それでこそ男ってもんだ!!
実は俺も黄巾の連中は気に入らねぇ、一泡吹かせたいと思っていたんだ」
意気投合した二人は、「取りあえず飲もうや」という事になり、
近所の居酒屋に直行し、漢王朝の弱腰や、黄巾賊の横暴を話題に
飲んでいると、そこに居合わせた見事な髯の若者、
関羽雲長(21歳)と知りあうという筋立てになっています。
三国志で有名な桃園の誓い
三人は、今の世の中を憂い、瀕死の漢王朝を救うという志で一致し、
張飛の家の裏庭にあった、桃園で酒杯を酌み交わします。
そして、「我等三人生まれた月日は違えども、
義兄弟の契りを結んだからには
心を同じくして助け合い、困窮する者達を救わん。
上は国家に従い、下は民を安んじる事を誓う、
同年、同月、同日に生まれえずとも、
同年、同月、同日に死せん事を願わん」
と天に向かって誓いを立てます、これが桃園の誓いです。
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劉備、義勇兵を集めるが武器も軍資金も何もなし
思い立ったが吉日と、三人は、黄巾賊討伐の義勇兵を募ると、
黄巾賊に反感を持つ、若者が500名も集まりました。
ところが、人間は集めたものの、武器もなければ軍資金も
移動の為の馬も持っていない事に3名は気が付きます。
「い、、、今頃~?」と思いますが、捨てる神あれば拾う神あり、
偶然にその場を通り掛かった張世平と蘇双という馬商人が、
3名の事情を聴き、「快挙であるから支援致す」と援助を約束。
軍資金と馬、そして、大将格である劉備には雌雄一対の剣、
関羽には青龍堰月刀、張飛には蛇矛という得物を与えるのです。
こうして、3名は、500名の私兵を率いて
幽州太守劉焉(りゅうえん)の下へ向かっていくのです。
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三国志演義と正史三国志の劉備の違い
さて、ここまでの劉備は三国志演義に描かれる品行方正な人物です。
一方の正史三国志では、劉備は、曹操にも劣らぬ不良息子でした。
実家は、豪族でしたが没落し、家計は苦しかったようです。
しかし叔父の援助を受けて、盧植という学者の下で遊学もしているので、
それなりにツテを頼れば、学問と教養を積める立場にはいたのでしょう。
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実際の劉備は?
ところがこの劉備、学問は中途半端で、闘犬のような博打に興じ、
音楽を好み、乗馬を趣味とし、貧しいのに美々しい服装をして、
中国各地の英雄、豪傑と呼ばれる人々と親しく交わったと言われます。
ところが、劉備は少しも偉ぶる所はなく、人物は謙虚で
誰とでも差別なく接したので、人々は劉備を慕い、
家は交遊を求める人々で溢れていたとも伝わります。
このような劉備でしたから、黄巾賊を討伐する為に義兵を興すと
仲間になる人間が我も我もと押し掛けてきたようです。
三国志演義では、馬商人になっている、張世平と蘇双は、
地元、涿県の金持ちで劉備の名声を知り、先行投資として
劉備に資金を援助したと言われています。
恐らく、関羽や張飛とも、この頃に知りあい、やがて、
義兄弟のような関係になっていったのかも知れません。
正史三国志でも三国志演義でも劉備は義理人情に厚い漢だった
三国志演義でも正史三国志でも、劉備は特別に義理人情に厚く
常識的に考えて明らかに不利になると考えられる状態でも、
頼ってくる人間を見捨てず、何度も窮地に追いやられています。
そこが現実主義で非情なライバル曹操と強烈な対比を成し、
三国志という物語に鮮やかな光彩を放っているのでしょう。
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この記事を書いた人:kawauso
自己紹介:
三度の飯の次位に歴史が大好き
10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、