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不俱戴天の仇か、はたまた運命の悪戯によって対峙した好敵手か。様々な人と人との関係図は、歴史をよりしっかりと味わわせてくれるスパイスのようなもの。
しかし歴史上はっきりと「君と余だ!」くらい言ってくれれば「うんライバル!」と思えますが、そうでない場合は主に後世の人々の考察、想像に彩られることも少なくないでしょう。
そこで今回のアンケートは「姜維のライバルは?」を聞いてみました。
皆さんのコメント共に見ていきましょう・
鄧艾
「鄧艾こそが、姜維の宿敵。鍾会に降った時の言葉が、全てを語っています」
引用元:はじめての三国志TV
鄧艾と言えば、魏にとっては蜀漢平定の功労者。そして蜀にとっては自分たちを討ち倒した張本人。
どこまでも打倒魏、そして蜀の滅亡を防ぐために戦っていた姜維にとっては、鄧艾がライバル、と言っても良いでしょう。
しかし晩年の蜀は殆ど嘗ての勇将たちがいなくなり、慢性的な人手不足にもかかわらず、魏にはまだまだ鄧艾を始めとした武将たちがいるというのは……国力の差を感じずにはいられませんね。
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郭淮
「カクワイは、キョウイに殺られたはず」
引用元:はじめての三国志TV
コメント主様自身は鄧艾に投票されたようですが、抽出させて頂きました。郭淮は三国志演義では姜維の放った矢によって死亡しています。一方正史では255年死去、となっていて死因は不明です。
しかし郭淮は正史でも対蜀軍の総司令官として働いており、このため不仲だった夏侯覇が出奔する原因の一つとなっていますね。対蜀の魏の将軍として、三国志演義では死に場所を姜維によって、とされたのかもしれません。
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費禕
「費イです外征派で外物の姜維と内政派で蜀に基盤張った費イでは方針が違うので」
「蜀内部なら、姜維を諭して北伐を止めた費禕と思ったけど、兄貴的、先輩的な存在にも思える」
引用元:はじめての三国志TV
費イは諸葛亮にも「忠臣」と評され、事実、諸葛亮亡き後の蜀の文官としては最高峰の一人でしょう。ただし国務を預かる文官としては、国力を減衰させる姜維の北伐は容認できなかったようです。
しかし二人は方針は違えども激しく争ったということはなく、コメントのように費イはあくまで姜維を諭した人物。これにはあくまで穏やかな費イ自身の性格が作用していたように思います。
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【北伐の真実に迫る】
黄皓
さて多種多様な方向性で姜維のライバルを見てきました。敵としてのライバル、身内と言えども方向性としてのライバル、色々ありますが満を持して(ちょっと違う)……まあ黄皓なのですが。
「黄皓がライバルと言われちゃ姜維も浮かばれまい・・・」
引用元:はじめての三国志TV
ライバルと言われると激しく争う、もしくは競い合うと同時に、二人の能力がある程度拮抗していることも選出の理由に入るかと思います。しかし黄皓の場合は争ったというよりも足をただ引っ張ったというか……皆さんもあまり良い印象は受けていないようですね。個人的にはライバルというよりは、獅子身中の……いや、麒麟心中の虫とでも言うべきでしょうかね?
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その他
例として挙げた人物以外にも、色々なコメントが寄せられていました。個人的なチョイスをさせて頂くと、気になったのはこのお二方のコメント。
「個人的には、「晋」そのものが宿敵だったと思うから、司馬師や司馬昭かな」
「あえて諸葛亮。彼への敬慕が姜維の思考と人生を縛った部分は間違いなくあったと思う」
引用元:はじめての三国志TV
三国志は、特に三国志演義になるとそれが分かりやすいのですが、戦いの規模が時代を経るにつれ個人個人の戦いではなく、国と国との戦いへと変化していきます。そう考えると、姜維のライバルは国そのもの、正に真理ですね。また「あえて諸葛亮」には何だかグッとくるものがありました。
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三国志ライター センのつぶやき
最後にこちらのコメントをご紹介させて頂きます。
「一国を一身で背負って滅びた姜維には哀れみを覚える」
引用元:はじめての三国志TV
これは正に、姜維の生き様を見て、多くの人が感じたものではないでしょうか。このコメントで、筆者は横山三国志の最後を思い出しました。ずっと、国のために必死に戦い続けた姜維。
しかしその結果にやってきたのは、自分たちの武器を石にぶつけて叩き割るもの……あまりに悲痛なラストに、涙が溢れ出たのを覚えています。姜維のやり方には色々な意見もあると思いますが、晩年の蜀を一身に背負っていた、その事に間違いはないのではないでしょうか。ちゃぽーん。
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引用元:はじめての三国志TV