邪馬台国が貰った「銅鏡」とは何?古代史の謎に迫る!

2022年9月4日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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大和朝廷 古代宮殿と邪馬台国

 

「邪馬台国(やまたいこく)」は中国の正史(せいし)「三国志(さんごくし)」に名前が見られる、現在の日本にあった、とされる国です。

 

邪馬台国と魏の兵士

 

「卑弥呼(ひみこ)」と呼ばれた女王が治めていたと言われていますが、彼女は魏(ぎ)に使者を送り、返礼に「銅鏡(どうきょう)100枚」をもらったと言います。

 

この「銅鏡」とは何なのでしょうか?

また、発掘されているのでしょうか?

 

今回の記事では「卑弥呼の銅鏡」について調べてみましょう。

 

 

邪馬台国の名前と場所

魏みんなで魏志倭人伝(夏侯惇、典偉、夏侯淵、許長、張遼、曹操)

 

「邪馬台国」とは中国の歴史書「三国志」に登場する現在の日本にあった、とされる国です。「邪馬台国」の名前が見られるのは「三国志」の「魏書東夷伝倭人条」と言われる場所です。

 

同年小録(書物・書類)

 

これは魏に使者を送った異民族の風俗などが書かれていて、通称「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」と呼ばれます。「邪馬台国」は「やまたいこく」と読むのか「やまとこく」と読むのか正確にはわかっていません。

 

また、その国の位置も「三国志」の記述があいまいで、「九州説(福岡など)」「畿内説(奈良など)」諸説あります。

 

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邪馬台国の歴史は?

卑弥呼

 

古代の倭国(日本)は代々男の王が治めていましたが、戦乱が起き、「卑弥呼」と呼ばれる女王を即位させると国は安定したそうです。卑弥呼は何度も魏に使者を送っています。

 

卑弥呼

 

そして西暦238年(239年説もあり)に魏の皇帝「曹叡(そうえい)」もしくは「曹芳(そうほう)」に謁見し、「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印、そして「銅鏡100枚」が贈られたのです。

 

狗奴国は邪馬台国と対立

 

その後邪馬台国は南にあったという「狗奴国(くぬのくに)」戦争状態に入ります。女王はその戦いを魏に報告すると魏は役人を派遣するなどしています。

 

亡くなる卑弥呼

 

後に卑弥呼が亡くなると男王が即位しますが、国は乱れ、卑弥呼の親せきだという女性「台与(とよ)」を即位させ、ようやく国は収まりました。台与は魏の後継の「晋(しん)」にも使者を送っています。

 

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大和朝廷

 

 

そもそも「銅鏡」とは何か?

献帝(はてな)

 

卑弥呼が貰った銅鏡について語る前に、そもそも「銅鏡」とはどんなものなのでしょうか?

 

銅鏡は青銅で作られた鏡で、古代の中国ではじめに作られ、朝鮮、日本など東アジア全体に広まりました。

 

主に祭祀で使われ、表面には文字や模様が刻まれていました。もちろん現在でいう所の鏡の機能もあり、西洋からガラスが渡来するまでは広く使われていました。現在博物館などで見られる銅鏡は緑色をしていますが、これは経年によるものであり、元々は白銀の光沢を放っていたといいます。

 

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発掘された「銅鏡」は卑弥呼の鏡なのか?

卑弥呼 HMK48

 

邪馬台国の位置を探る際、「魏志倭人伝」に記載されている「銅鏡100枚贈った」という記事が大きなポイントとなっています。もし魏が邪馬台国に贈った鏡が発掘されれば、その場所が邪馬台国の位置である可能性があるからです。

 

「三国志」の時代に作られた鏡は神仙界(しんせんかい)(理想郷)を描き、神や動物の像が彫られている「神獣鏡(しんじゅうきょう)」と言われるものがメインです。特に鏡の縁が三角になっている「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」と呼ばれるものが各地の古墳から出土しています。この鏡が「卑弥呼の鏡」と言われることがあります。

 

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この銅鏡が卑弥呼の鏡と言われる大きな根拠は鏡に「景初(けいしょ)3年」の年号が刻まれていたことがあげられます。この「景初」は魏の年号であり、卑弥呼が魏に使者を送った年代と一致するからです。また、この鏡が魏の鏡と特徴や成分が似ているとの指摘がありました。

 

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卑弥呼の鏡でないと言われるワケ

司馬懿

 

ただし、「卑弥呼の鏡でない」という説もあります。第一に実在しない年号である「景初4年」と刻まれた鏡がある、ということです。しかもこの「三角縁神獣鏡」は中国での出土例がほとんどなく、日本で作られた可能性があります。

 

また、精密な鏡と粗雑な鏡の出来の差が大きく、大量の贋作が作られた可能性があります。これらの事から、「卑弥呼の銅鏡」についての解釈は大きく分かれており、今後の研究や発掘が待たれるところです。

 

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三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

邪馬台国についての議論は江戸時代から続いており、一向に終わる気配がありません。結論を出すには「物証」が一番大事ですが、「銅鏡」の例を見ればわかるように、それでさえもよくわかっていません。決め手は「金印(きんじるし)」ですが、それが見つかる日は来るのでしょうか?

 

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歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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