明の時代に成立した『三国志演義』は、それ以前の時代、元代に刊行された『新刊全相平話三國志(三国志平話)』を下敷きにしています。
更に、この『三国志平話』は宋代から伝わる民間伝承を元にしており、史実とはだいぶ違う、荒唐無稽なお話も多く含まれています。滑稽話として伝承されている話に、張飛が孔明と知恵くらべをするというものがあります。実はこの話にとても良く似たものが日本にもあるんです。それは……。
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落語『蒟蒻問答』
江戸時代から伝わる古典落語の演目に、『蒟蒻問答(こんにゃくもんどう)』というものがあります。荒れ寺に住みこんでそこの住職のフリをしていたこんにゃく屋のところに本物の禅僧が現れ、禅問答を挑んできます。禅僧が何を尋ねても偽住職は答えません。禅僧はそれを無言の行だと勘違いし、今度はゼスチャーで問いかけます。
禅僧が手で丸を作ると、偽住職はもっと大きな丸を。禅僧が十本の指を突き出して見せると、偽住職は五本の指を。禅僧が三本の指を立てると、偽住職は『あっかんべー』をしてみせる。突然、禅僧は『恐れいりました』と頭を下げ、その場から退散してしまいます。様子を見ていた男が不思議に思い、禅僧の後を追って理由を聞きました。
禅僧は『自分が“天地の間は?”と問いかけると住職は“大海のごとし”と答えられた。次に自分が“十万世界は?”と問うと、住職は“五戒で保つ”と答えられた。最後に“三尊の弥陀は?”と問うたところ、住職は“目の下にあり”と答えられた』といい、大いに恐れ入っていました。
戻った男が偽住職に問答の意味を問うと、彼はこう答えたそうです。
『あいつは俺がこんにゃく屋だと知っていやがった。手で小さな丸を描いて“おまえの店のこんにゃくはこんなに小さいだろう”というから“こんなに大きいぞ”と返してやった。十文で売れと言いやがるから五百文だと言ってやったらあの野郎、三百にまけろと言いやがった。だからアカンベーしてやったのさ』
とんちんかんで見当外れな問答を、ゼスチャーを交えて見せる名作と知られる落語ですが、この元ネタになったと思われる話が中国にありました。それは諸葛孔明と張飛が知恵くらべをする、という話です。
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孔明と張飛の知恵くらべ
劉備が三度目に孔明の庵を訪ねた折、ついに根負けした孔明は「私と問答をして、答えられたら一緒に行くことにしましょう」と言いました。劉備と関羽が答えようとすると、張飛が話に割り込み、「孔明先生、俺が答えましょう」と言いました。
張飛の挑戦に、孔明は無言で空を指差します。すると張飛は地面を指さしました。
次に孔明が片手を前に出すと、張飛は両手を前に出してみせます。更に孔明が三本の指で小さな円を描いてみせると、張飛は九本の指で大きな円を描きました。最後に孔明が拳を使って胸元で円を描くと、張飛は袖の中を指さしました。孔明は感心した様子で『当たりです。お約束通り、一緒に行きましょう』と言いました。
問答の意味が分からなかった劉備と関羽が孔明に問うと、彼は答えました。
『私が天文と言うと、張将軍は地理と答えられた。私が天下統一と言うと、張将軍の答えは三国鼎立でした。三回で元に戻ると問うたところ、将軍は九回でも戻ると答えられた。最後に私の胸中には陰陽八卦があると言うと、将軍は太陽と月を袖に隠してあると言われた。実に恐れ入りました』
張飛にこんな知恵があったとは知らなかった劉備と関羽は、張飛にどうして孔明の問いの意味がわかったのかと尋ねました。張飛は笑って答えました。
『孔明先生が、今日は雪が降りそうだって言うもんだから、俺は地面が滑るって答えてやったんだ。すると先生は月餅を三つくれるってんで、俺は九つくらいないと足りないって言ったんだ。先生は、自分の持ってきた月餅は大きいから食べきれないぞと言うんで、食べきれなかった分は袖に入れておみやげにするって答えたんだよ』
張飛は桃園の誓いを結んだ三人の義兄弟たちの中でも、その分かりやすいキャラクターで中国でも日本でも人気があります。中国各地に、張飛を主人公とした民間伝承が数多く残されていることからも、その人気ぶりが伺えます。
なお、これは余談になりますが、「蒟蒻問答」や「孔明と張飛の知恵くらべ」のような話は、他にもあります(ローマ教皇とユダヤ教のラビの問答等)。この手の話は、物語の類型として、世界的にもスタンダードなものであると言えるかもしれません。
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