三国志にはさまざまな軍師が登場します。
その多くは主君への忠誠を貫き、中には主君を裏切り己の野心を果たすものもいます。
諸葛亮、司馬懿、荀彧……いろいろな軍師の名前を挙げることができますが、なかでも特筆すべき存在に、曹操に仕えた軍師、賈詡(かく)がいます。
賈 詡(か く)とはどんな人物?
賈詡は董卓の配下として歴史に登場します。
董卓が横暴の限りを尽くした果てに、王允(おういん)と呂布(りょふ)によって殺されると、賈詡は同じく董卓の配下にあった李傕(りかく)に献策して長安から呂布を追い出させ、王允を殺すことに成功します。
後に南陽を治める張繍(ちょうしゅう)に乞われ、彼に仕えることになった賈詡は、荊州を治める劉表(りゅうひょう)との同盟を提案、自ら劉表の元へと赴き、同盟の締結に成功します。
張繍は曹操(そうそう)に攻められ、一旦は降伏します。
しかし、曹操に暗殺されそうになり反乱を決意します。
賈詡は表向き張繍が曹操に従うフリをしてその陣営を通過中に奇襲をかけることを提案、賈詡の献策に従った張繍軍によって、曹操は大敗し、曹昂(そうこう)や典韋(てんい)といった腹心の武将を失います。
曹操と袁紹が雌雄を決した官渡の戦いにおいて、賈詡は袁紹の招きに応じようとした張繍を止めて曹操への帰順を提案します。
『仇敵である曹操が自分たちを受け入れるわけがない』と言う張繍に、
賈詡は「曹操は天子を擁しており、大義名分を持つ」こと、
「袁紹よりも弱小である曹操は張繍の勢力を歓迎するであろう」こと、
そして「仇敵である張繍を許すことで、自身の徳を内外に広めようとするであろう」
という三つの理由を上げ、張繍を説得。
賈詡の提言通り、曹操は張繍を厚遇し、賈詡は曹操の参謀となります。
賈詡の功績
曹操の参謀となった賈詡は、官渡の戦いにおいて曹操を勝利させるきっかけを作り、また、曹操が涼州の馬超(ばちょう)・韓遂(かんすい)と事を構えた時には、二人を離反させる計を献策し、これに成功するなど、大きな功績を残します。
後継者を巡って、家臣たちが嫡子である曹丕派と弟である曹植派に分かれて議論を交わすなか、曹操は賈詡に意見を求めます。
賈詡は二人のいずれかを推すことはせずに、『袁紹や劉表のことを考えておりました』とだけ答えました。
曹丕からの信頼も厚かった
袁紹と劉表はともに長子ではない後継者を選び、国の分裂・混乱を招いた挙句に曹操によって滅ぼされています。
賈詡の言葉の意味に大いに納得した曹操は、長子である曹丕を後継者に選びました。
曹丕が皇帝の地位に就いてから後も、賈詡は魏の重臣として活躍することになります。
機を見て仕える相手を切り替え、一時は主君と仇敵関係にあった曹操によって厚く用いられ、生涯を全うした賈詡。
巧みな処世術で乱世を生き抜いた彼こそ、ある意味、戦乱の勝者と呼ぶべきなのかもしれません。