中国五千年の歴史の中には、たくさんの魅力ある女性が登場しますが、中でも「中国四大美女」と呼ばれる美人たちがいます。
誰を入れるかは諸説ありますが、一番ポピュラーなものは、
・西施(せいし)(春秋)
・王昭君(おうしょうくん)(前漢)
・貂蝉(ちょうせん)(後漢)
・楊貴妃(ようきひ)(唐)
の四人となっています。
このうちの三人、西施・王昭君・楊貴妃は実在の人物です。しかし、三国志のヒロイン、貂蝉だけは架空の人物なのです。そんなのありなのか、とも驚きますが、それだけ、『三国志演義』のヒロインである貂蝉が、人気があるといことを示しているのでしょう。
考えてみれば日本の小野小町だって、いまいちどんな人なのかよくわからない女性ですよね。
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この記事の目次
美女連環の計
養父王允の願いで、貂蝉は二つの兵法を用います。これを合わせて、「美女連環の計」といいます。まずその一、「兵法美人の計」です。これは、兵法三十六計の第三十一計にあたる戦術です。美人を献上し、色仕掛けを用いて、敵の戦意を喪失させ、敵の弱ったところを叩く策です。
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董卓と呂布は離間の計にハマる
貂蝉は、董卓、呂布の二人を色仕掛けで落としました。そしてその二、「離間の計」です。これは、二者の仲を引き裂くことにより、結びつきを解消させる心理戦です。
貂蝉は、呂布の前では一緒になれないことを嘆き悲しみ、董卓の前では、呂布のことを嫌ったふりをして、二人の仲を引き裂きました。ここに美女連環の計が成立です。
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貂蝉その後
貂蝉は架空の人物だけあり、董卓亡き後のその後についても諸説あります。呂布の妾になって彼について回り、呂布の死後、消息がわからなくなったというのが『三国志演義』での記述です。そのほかには、呂布の死後、曹操にとらえられたのち、関羽に殺されるというもの、あるいは、美女連環の計を用いて報国の義を尽くしたとして関羽に称賛されるというものもあります。また、計略を成し遂げたのち、自害するという話もあります。
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