曹操の後継者であり、後に献帝からの禅譲を受けて魏の初代皇帝となった曹丕は、
曹操の後継者の地位を巡って弟の曹植と激しく対立したことが知られています。
しかし、そんな曹丕をして『もし生きていたら私は父の後継者にはなれなかっただろう』と言わしめた弟がいました。
それが曹沖(そうちゅう)です。
曹沖(そうちゅう)ってどんな人物なの?
曹沖、字名は倉舒(そうじょ)。曹操の八番目の息子です。
幼い頃から学問を愛する心優しい性格の曹沖を、曹操は溺愛しており、周囲の者もその将来を嘱望していました。
曹沖の聡明さや優しい性格を伝える逸話がいくつかあります。
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曹沖の優しい性格
倉庫に保管してあった曹操の鞍(馬具)がネズミにかじられてしまったと言うことがありました。
この時代、ネズミに何かをかじられるのは不吉の前兆であるという迷信がありました。
事を知った曹操は怒り、責任者の倉庫番を処罰しようと考えました。
話を知った曹沖は、倉庫番に『三日経ってから自首しなさい』と言った上で、自分の服にわざと穴を開け、嘆き悲しんで見せました。
息子のただならぬ様子を案じた曹操が理由を尋ねたところ、曹沖は服の穴を見せ
『ネズミに服をかじられました。不幸が起こるかもしれません』と曹操に訴えました。
曹操は『それは迷信だから安心しなさい』と諭したといいます。
三日後、倉庫番が曹沖に言われた通り自首しましたが、曹操は笑って彼を許し、咎めませんでした。
曹沖の逸話
曹操の元に、孫権から贈られたゾウが届いた時のこと。
その大きさに感心した曹操は、ゾウがどれほどの重さがあるのかと使者に訪ねましたが、
誰もゾウの重さを知るものはいませんでした。
その様子を見ていた曹沖が父、曹操に「まずゾウを船に乗せ、水面のところに印をつけます。
ゾウを船から下ろして、代わりに石を積んでいきます。ゾウを乗せた時と同じ所まで船が沈んだら、積んだ石の重さがちょうどゾウの体重と同じになっているはずです」とアドバイスしました。
曹沖の利発さに、曹操は大いに喜んだと言われています。
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曹沖、若くして死す
将来を嘱望された曹沖でしたが、わずか13歳でこの世を去ってしまいました。
曹沖の死因は定かではありませんが、病死であったと考えられています。
曹沖が病床で危篤状態に陥った時の曹操の狼狽ぶりは尋常ではなく、あらゆる名の知られた医師を呼び集めたばかりではなく、
普段はバカにしていた拝み屋までをも集め、曹沖の回復に全力を尽くしました。
しかしその甲斐もなく、曹沖は死去。
曹操は嘆き悲しみ、まだ結婚していなかった曹沖のために、
同時期に亡くなった美しい少女の遺体を貰い受けて曹沖との結婚式と葬式を同時に行いました。
この時曹操は、後に彼の跡取りになる曹丕に対し、「曹沖の死はわしにとっては悲しみだが、おまえにとっては喜ぶべきことだ」と言ったと伝えられています。
曹操は曹沖を自分の後継者にしようと考えており、その曹沖が早世したことは、
曹丕にとっては幸運=彼が曹操の後継者になれるという、
これ以上ないほどの強烈な皮肉でした。
曹沖がもしそのまま生きていたら、曹操の後継者になっていたでしょうか?
そうなっていれば、魏の最初の皇帝となった可能性も十分に考えられます。
もし、そうなったとしたら、歴史はどのように変わることになるのか……とても興味をひかれますね。
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