関羽(かんう)が出した3つの条件を呑んで晴れて関羽(かんう)を配下にした曹操(そうそう)ですが、その手厚い厚遇ぶりは、心ならずも家来になった関羽(かんう)を感動させるものでした。
曹操(そうそう)は、関羽(かんう)に、直ぐに偏(へん)将軍の地位を与えて、名誉を保ちまた、関羽(かんう)が手柄を立てる度に贈り物をして、関羽(かんう)が気がかりにしていた劉備(りゅうび)の妻子にも何の不自由も生じないよう気を配りました。
しかし、関羽(かんう)は、これらの贈り物を丁重に受け取りながらも決して私する事なく、全てに封をしておいていました。やがて、関羽(かんう)は、劉備(りゅうび)が袁紹(えんしょう)の客将として健在であるという情報を手にいれます。
関羽に去ってほしくない曹操が取った行動とは?
それを知った曹操(そうそう)は、関羽(かんう)を一日でも長く引きとめようと避客牌(ひかくはい)という面会謝絶の看板を屋敷に置いて、関羽(かんう)の別れの挨拶を避けようとして小細工しました。
関羽(かんう)は、三度、四度と曹操(そうそう)の屋敷に別れの挨拶に向かいますが、その度に、避客牌(ひかくはい)が掛かっています。関羽(かんう)は、意を決して、避客牌(ひかくはい)の前でひざまずき、曹操(そうそう)のこれまでの厚遇に厚く礼を述べると、受け取った贈り物を全て返却し劉備(りゅうび)の妻子を連れて許昌を後にしたのです。
曹操は関羽の義理堅さに感心
曹操(そうそう)は、その一部始終を見て、関羽(かんう)の義理堅さに感心します。そして同時に、これほどの武人を失うのを心から寂しく思うのでした。曹操(そうそう)の家来達は、関羽(かんう)を追い掛けようとしますが、曹操(そうそう)はそれを制止しました。
「あれほどに義理堅い男を、これ以上困らせてはならん、黙って見送ってやろうではないか、、」
関羽(かんう)は、劉備(りゅうび)の下に戻った後も、曹操(そうそう)から受けた恩を決して忘れませんでした。
後に赤壁の戦いで、敗戦した曹操(そうそう)を関羽(かんう)が黙って見逃したのは、この時に受けた恩があり、曹操(そうそう)を斬るに忍び無かったからだと言われています。
曹操(そうそう)のような人を人とも思わない計略を常とする男をと、ここまでの信頼関係を築いた関羽(かんう)は、やはり大人物だと言えるでしょう。