41話:いつかは去りゆくと知っていながら関羽を厚遇した曹操

2015年3月10日


 

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曹操 関羽LOVE

 

関羽(かんう)が出した3つの条件を呑んで晴れて関羽(かんう)を配下にした曹操(そうそう)ですが、その手厚い厚遇ぶりは、心ならずも家来になった関羽(かんう)を感動させるものでした。

 

関羽

 

曹操(そうそう)は、関羽(かんう)に、直ぐに偏(へん)将軍の地位を与えて、名誉を保ちまた、関羽(かんう)が手柄を立てる度に贈り物をして、関羽(かんう)が気がかりにしていた劉備(りゅうび)の妻子にも何の不自由も生じないよう気を配りました。

 

五虎大将軍の関羽

 

しかし、関羽(かんう)は、これらの贈り物を丁重に受け取りながらも決して私する事なく、全てに封をしておいていました。やがて、関羽(かんう)は、劉備(りゅうび)が袁紹(えんしょう)の客将として健在であるという情報を手にいれます。

 

前回記事:40話:義将関羽が曹操に出した降伏の3つの条件

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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関羽に去ってほしくない曹操が取った行動とは?

曹操は関羽をGET

 

それを知った曹操(そうそう)は、関羽(かんう)を一日でも長く引きとめようと避客牌(ひかくはい)という面会謝絶の看板を屋敷に置いて、関羽(かんう)の別れの挨拶を避けようとして小細工しました。

 

曹操の元から離れる関羽

 

関羽(かんう)は、三度、四度と曹操(そうそう)の屋敷に別れの挨拶に向かいますが、その度に、避客牌(ひかくはい)が掛かっています。関羽(かんう)は、意を決して、避客牌(ひかくはい)の前でひざまずき、曹操(そうそう)のこれまでの厚遇に厚く礼を述べると、受け取った贈り物を全て返却し劉備(りゅうび)の妻子を連れて許昌を後にしたのです。

 

曹操は関羽の義理堅さに感心

親友に裏切られた曹操

 

曹操(そうそう)は、その一部始終を見て、関羽(かんう)の義理堅さに感心します。そして同時に、これほどの武人を失うのを心から寂しく思うのでした。曹操(そうそう)の家来達は、関羽(かんう)を追い掛けようとしますが、曹操(そうそう)はそれを制止しました。

 

曹操

 

「あれほどに義理堅い男を、これ以上困らせてはならん、黙って見送ってやろうではないか、、」

 

関羽(かんう)は、劉備(りゅうび)の下に戻った後も、曹操(そうそう)から受けた恩を決して忘れませんでした。

 

曹操を逃す関羽

 

後に赤壁の戦いで、敗戦した曹操(そうそう)を関羽(かんう)が黙って見逃したのは、この時に受けた恩があり、曹操(そうそう)を斬るに忍び無かったからだと言われています。

 

関羽の青銅像

 

曹操(そうそう)のような人を人とも思わない計略を常とする男をと、ここまでの信頼関係を築いた関羽(かんう)は、やはり大人物だと言えるでしょう。

 

次回記事:42話:袁紹には悪夢、顔良、文醜が関羽に斬られる

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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