13人の妻と、32人の子供がいたという曹操。
女っ気のない武将たちが多い『三国志』の中で、際立って女性関係の
エピソードが多いため、曹操は「エロおやじ」だと思われがちです。
……決して私は曹操をおとしめるつもりはなく
むしろ、曹操を持ち上げたいと思っています。
そこで、曹操の女性に関するエピソードを見ることで、
あくまで私見で曹操は「女の敵なのかどうか」を検証してみたいと思います。
人妻、鄒氏との恋にうつつを抜かして長男を失う
鄒(すう)氏は、董卓の部下、張済の妻でしたが、
夫は流れ矢に当たって亡くなり、鄒氏は未亡人になりました。
その後、張済の甥である張繍と行動を共にします。
宛城に駐屯中、曹操が戦を仕掛けて来たとき、
勝ち目がないと悟った張繍は、軍を率いて降伏します。
しかし、ここで曹操は、鄒氏を妾にしてしまいます。
おじの未亡人に手を出されたとあっては、張繍も怒りを覚え
曹操に反感を抱き、曹操を襲撃しようと計画します。
曹操は鄒氏の魅力にめろめろで、そんなことにまったく気づきません。
異変に気付いたのは、長男の曹昂でした。
曹昂は襲撃の際、父曹操を逃がすために、敵に殺されてしまいます。
曹操の妻、丁夫人は、継子である曹昂をたいへん可愛がっていたこともあり
この事件を契機に、曹操と不仲になり、離縁するのです。
まあ……当然ですよね……。
戦をしに行ったと思ったら、人妻にうつつを抜かして、
長男を失って帰ってくるなんて……。
しかし、実際のところ、張繍が曹操を襲撃したのは、
曹操が張繍を殺そうとしている計画を知ったため、先手を打っただけです。
鄒氏の存在については、あくまで物語の演出の一環ではないかと思われます。
人妻、小喬を侍らせたいと夢見て赤壁で大敗する
呉の周瑜の妻、小喬(しょうきょう)は、孫策の妻大喬と並んで
「二喬」と称される美人姉妹で有名でした。
小喬の父、橋玄は、漢の大尉を務めた名士で、
曹操が故郷の譙にくすぶっていたころに交流がありました。
この時から、曹操は姉妹のどちらかを娶りたいと思っていたようです。
ある時曹操は戯れにこう言います。
「俺、銅雀台を建てたら、二喬を侍らせて、朝晩愛でて楽しむんだ」
これは、曹操の五男である曹植によって、『銅雀台賦』という歌に
しっかりと記録されています。
さて、これが赤壁の戦いのとき、
開戦にいまいち乗り気ではない周瑜に対し、諸葛孔明がやってきて、
この「二喬を侍らせるんだ」という曹操男のロマンの歌を詠みあげ、
周瑜を挑発します。
もちろん、妻を愛している周瑜は大激怒。
ここに、赤壁の戦いが勃発するわけです。
……あれ?
銅雀台って、220年建立だったような……。
実際は、赤壁よりも、2年後です。
というわけで、あくまで『三国志演義』のエピソードですが、
曹操が美人がダイスキという話は、こんなふうに
読者の心に残ってしまうわけです。
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この記事を書いた人:東方明珠
こんにちは。とうほう めいしゅです。
中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。
もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。
当時はゲームセンターに通いつめました!
まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。