曹操の13人の妻を一挙公開! その2です。
曹操は妻を政治に介入させなかったため、
正史における女性たちの記録は、
子供のことだけしか書いていない女性がほとんどです。
そのため、子供や周囲の状況から
「このような女性だったのでは?」という推測も交えてご紹介しています。
妻No.4 杜夫人
・フリガナ:とふじん
・子供:
長男、秦朗(しんろう)*父は秦宜禄
次男、曹林(そうりん)256年没
三男、曹袞(そうこん)235年没
長女、金郷公主(きんきょうこうしゅ)
もともと、呂布(りょふ)の武将秦宜禄(しんぎろく)の妻で、
男児(秦朗)もいましたが、
秦宜禄が袁術(えんじゅつ)のもとへ身を寄せた際、
秦宜禄と漢室の娘を結婚させようということになり、
離縁されました。
杜夫人は子供と共に捨てられ、親子二人、下邳城でひっそりと暮らします。
そんな杜夫人の美貌は、関羽(かんう)の目に留まりました。
「呂布を破って、彼女を妻にしたいんですが……」
関羽から、そんなことを告げられた曹操は
「なに!? そんなにカワイコちゃんなら見過ごせん!」と
興味を持ち、
関羽との約束をほごにして、自分の妻とします。
曹操は杜夫人の連れ子、秦朗も可愛がってくれたので、
杜夫人もそんな曹操に心を許し、
曹操との間に二男一女をもうけ、平穏に暮らしました。
息子たちは権力に欲がなく、素朴で素直に育ちました。
このことからも、杜夫人の穏やかな人柄がしのばれます。
妻No.5 秦夫人
・フリガナ:しんふじん
・子供:
長男、曹玹(そうげん)若死に
次男、曹峻(そうしゅん)259年没
夫人、子供共に歴史書に記載はありません。
目立った活躍はなかったものと思われますが、
それでも「夫人」と呼ばれ、きちんとした妻に数えられていること、
そして子供たちも、とりわけて曹操に寵愛されていたわけではないのに、
若死にしたあとで、きちんと養子を取らせて領地を継続させ、
死後に贈号されていること、
この二点から見て、秦夫人はそれなりの高い身分の出自だったと
想像ができます。
そうすると、浮かび上がってくるのが、秦邑(現在の河南省范県)に
由来のある、姫姓秦氏の女性である可能性があります。
姫姓秦氏とは、周建国の功臣、周公旦(しゅうこうたん)の血を引く
秦一族のことです。
曹操は216年に臣下から、魏王に位を進めますが、
その準備段階として、
形式上高い身分の女性を妻として迎え入れたのかもしれません。
妻No.6 尹夫人
・フリガナ:いんふじん
・子供:
長男、何晏(かあん)*父は何咸
次男、曹矩(そうく)若死に
尹夫人は最初、
後漢の霊帝の時代に、外戚として権力をふるっていた
何進(かしん)息子、何咸(かかん)に嫁ぎます。
権力者の息子に嫁ぐということは、尹夫人も洛陽では
それなりの家柄の娘だったと言えます。
尹夫人は何咸との間に男児をもうけました。
夫の何咸が、宦官との抗争に敗れて殺されてしまったため、
尹夫人は息子と共に路頭に迷います。
その後、どのような経緯か不明ですが、曹操の妻となり、
曹矩を生みます。
その3に続きます。
この記事を書いた人:東方明珠
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東方明珠(とうほうめいしゅ)
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通称「はじさん」のはじっこライター東方明珠です。
普段は恋愛系のノベルやシナリオを書いています。