趙雲ってどんな人?投票ランキング1位の理由

2015年6月15日


 

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趙雲 人気の理由

 

はじめての三国志・第1回目 武将投票ランキング』で

多くの英雄を抑えて1位を獲得した趙雲子龍(ちょううん しりゅう)

 

京劇コスチューム趙雲

 

今回投票ランキング上位3名をフォーカスをすると公言していたので、

【趙雲子龍】について紹介しようじゃないか。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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趙雲はどんな人物なの?

趙雲 子龍

趙雲は身長はおよそ184cmあったと言われており、

冷静沈着な武将であり姿や顔立ちも立派な人物でした。

 

曹操軍の輸送車を襲う趙雲

 

槍から繰り出される技は槍の名手とされています。

 

趙雲は冷静沈着の性格柄、勇敢でもあり任務は確実に成功させる事から

指揮官の孔明からも信頼度も高かったはずです。

 



趙雲の初登場はいつ?

劉備 趙雲 再開

 

趙雲が三国志演義に初登場するのは、河北の支配権をめぐって袁紹と対峙していた

公孫瓚の元に官民の義勇兵を率いて加わったのが趙雲の初登場です。

その頃に劉備も公孫瓚の身を寄せていた事から、劉備と趙雲は初めてここで出会いました。

 

劉備に褒められる趙雲

 

劉備も当時は趙雲に対して評価をしており、

趙雲の立派な姿を見て「この漢欲しい」と目をつけていた程、

趙雲の武術が優れていたことも予想出来ます。

 

趙雲と劉備が初めて出会うシーン

 

そして趙雲も磁石のように人を惹きつける不思議な力がある劉備に魅了された一人です。

 

当時の趙雲も「この方の下で働きたい」と相思相愛の関係だったようです。

 

公孫サンに味方をする趙雲

 

しかし劉備は公孫瓚と兵学んだ学友の仲なので関係が悪化することを恐れて

劉備の方から断ったと演義の方では書かれているが、

史実でも同様の展開であったようです。

 

魏のマイナー武将列伝

 

趙雲、念願の劉備の配下に加わる

趙雲 三尖刀

 

趙雲は以前、劉備に配下にしてほしいとお願いをしたが、

「劉備は、必ずいつか君を配下にする」と約束をしていましたが、そのチャンスがやって来ました。

 

趙雲の兄が亡くなったとの事で公孫瓚の元を離れて故郷へ帰ることになりました。

その後、鄴で久しぶりに劉備と偶然出会い、

密かに集っていた数百人と共に劉備の配下に遂に加わる事が出来ました。

 

趙雲と劉備

 

劉備配下後では、義兄弟を誓った関羽・張飛の桃園三兄弟組と同じくらい、

劉備から厚遇をされており同じ床で寝ていたのも、劉備から信頼がある証拠でもありますね。

 

趙雲が長生き出来たのは●のお陰?

趙雲 長坂の戦い

 

40代 男性:趙雲の投票理由:「単騎で行けるところ」

40代 女性:趙雲の投票理由:「老いても強い^_^」

40代 女性:優秀かつ勇敢な武将の1人だから

30代 女性:仕事ができる。最期まで戦負けしなかったから(*´∀`*)ノ

20代 男性:蜀では劉備関羽張飛の陰に隠れがちだけど、強くてとても頼もしい武将だから

 

 

五虎大将軍の趙雲

 

趙雲の投票回答に、単騎で駆け巡り三國無双のようにバサバサ敵を切り裂き

五虎大将軍でも唯一、最後まで生き残り、年老いても安定感抜群の活躍をしてきました。

 

しかし、趙雲へ投票してくれたあなた、この活躍が出来たのは誰のおかげだと思いますか?

 

抜き出た曹操

 

実は今回の投票ランキングで2位の人気を得たあの、曹操(そうそう)のおかげでもあるのです。

 

趙雲の見せ場と言えば、長坂の戦いで劉備の息子で、

蜀の2代目の皇帝になる劉禅阿斗)を救出する為に幼い劉禅を胸に抱き抱えながら

単騎で曹操軍と戦うのは印象が強いと思います。

しかし、趙雲は槍の名手でもあり、

魏の夏侯恩を討ち取り青紅の剣(せいこうのけん)を手に入れて接近戦でバサバサ敵を叩き切る。

 

曹操

 

でもそのシーンを感動しながら見ていたのは、あの曹操なのです。

 

曹操は人が好きで有名ですね。

この人材マニアの曹操は、敵に囲まれた趙雲に対して

「矢を射ずに生捕りにせよー」と命令を下していました。

 

苛ついている曹操

 

結果的にこの人材マニアの曹操のおかげで、趙雲は幸運にも生き延び、

更に活躍の場を設けてくれた重要人物です。

 

 

趙雲が1位を取った理由は羅貫中のお陰?

水滸伝って何? 書類や本

三国志には、「三国志演義」と「正史」の2種類があります。

 

晋蜀の産まれ 陳寿

 

正史とは、魏の官僚である陳寿(ちんじゅ)という歴史家が作成した歴史書であり

正史は三国志の時代の信ぴょう性の高い史料が採用されています。

 

羅貫中

 

しかし正史の情報は登場人物の履歴が並んでおり、大変分かりづらい。

そこで明の時代の羅貫中(らかんちゅう)という人物が難しい歴史を分かりやすく

演出を加えたのを「三国志演義」と言われています。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

実は羅漢中は趙雲と同じ同郷の事から、趙雲に思い入れを感じており、

正史の「趙雲伝」の原文を読んでも、著者の陳寿があまりにもザックリと記しているので、

「おい!!陳寿、趙雲のエピソード全然ないじゃねーか」と面白みに欠けることから、

趙雲の活躍の場が多く与えられていると思われます。

 

明は中国(1365年~1644年)の王朝で、

作者の羅貫中はこの時代に生きた人間であり三国志演義はこの時代に誕生しました。

 

君主論と曹操

 

曹操に活躍の場を与えられた趙雲も、

趙雲と同郷である作者の羅漢中の想い入れ補正が入り600年以上の歳月を経て

「はじめての三国志」で投票を1位を取ったのも

作者・羅貫中の思い入れが強く、羅漢中の想いが皆さんの心に響いたのではないだろうか。

 

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まだ漢王朝で消耗してるの?

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otoboke

数々のブレストと思いつきで場を散らかした後、権限委譲と言い放ち、kawauso編集長に丸投げし去っていく。インターネットの不特定多数無限大の可能性にロマンと情熱を捧げる「はじめての三国志」の創設者。創造的で自由な発想が称賛や批判を創発し、心をつかむコンテンツになると信じている。各メンバーのパーソナリティを尊重し、全員の得意分野を活かし、補完し合うチーム作りを目指している。

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