全三回でお送りしてきた光武帝・劉秀(りゅうしゅう)のお話もこれで最後です。
今回は後漢王朝の礎を築いた光武帝・劉秀の政策と彼の逸話をご紹介していきたいと思います。
前回記事:後漢の始祖・光武帝劉秀(りゅうしゅう)ってどんな人?青年期は貧しいが性根の優しい人物Part.1
前回記事:後漢の始祖・光武帝劉秀(りゅうしゅう)ってどんな人?苦難に耐えて皇帝になる Part.2
この記事の目次
光武帝・劉秀が行った優れた政策
劉秀は天下を統一した後、数々の優れた政策をおこないます。
劉秀が天下を統一した時、中国の民は激減しておりました。
そこで彼が初めに行ったことは、人口を増加させるため、
奴婢(男女の奴隷。当時奴隷は民の人数に入りませんでした)を解放させる政策を行います。
奴婢(ぬひ)を解放し中国の民を増加させる
劉秀は奴婢(ぬひ)を解放させる事で、激減した中国の民を増加させさせることに成功します。
また奴婢を解放して民の数を増加させるとともに「この世界で人が一番尊い」
から始まる詔(みことのり)を発し、
普通の民と奴婢を法の上で平等にする政策を発令します。
劉秀は続いて兵士となっていた民を大部分帰農させて、
農業の生産性向上を図る屯田を実施します。
屯田(とんでん)ってなに?
屯田ってなんぞやと思う人が多数いると思います。
簡単に説明しますと、平和な時は田畑を開拓させ、
緊急事態になった時に兵士として招集する制度です。
この政策を実施する事で、反乱で荒れていた田畑を開拓し、
農業の生産性は年々増加することになりました。
また王莽(おうもう)の時代に税の取り立てが厳しく、民衆は荒んでおりました。
そこで民衆の人心を安定させるため、
税率を引き下げて民衆の人心を安定させます。
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