【能力高すぎワロタ】仕事のできる蜀の三代目トップ費禕(ひい)エピソードも紹介!

2015年11月30日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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皆さん費禕(ひい)って人物を知っていますか。彼は蒋琬(しょうえん)の死後、蜀の政治・軍事を取りまとめた政治家です。政治力に優れ、諸葛孔明や呉の孫権(そんけん)からも非常に褒められた人です。今回は意外と知られていない蜀の三代目丞相・費禕(ひい)をご紹介していきます。

 

嫡子劉禅の補佐役に任命

表情 劉備01

 

費禕は幼い頃に、父と母を亡くし、一族である費伯仁を頼り、益州に向かいます。彼は、費伯仁の元に着くと、勉学に勤しんだ後、故郷へ帰るつもりでした。しかし、劉備(りゅうび)が益州の主になるとそのまま滞在し、劉備に仕えることになります。彼は勉学で培った経験を活かし、政治家として活躍していきます。

 

費禕と董允の名前は次第に益州で有名になる

董允

 

当時友人で会った董允(とういん)と共に民衆をいたわっていく政治を行った事で、費禕と董允の名前は益州で有名になっていきます。二人はその後、劉禅(りゅうぜん)の補佐役に任命され、劉禅を養育していきます。劉備が亡くなり、劉禅が蜀の皇帝になると、費禕は黄門侍郎(皇帝の秘書官のような仕事)に昇進を果たします。

 

呉と蜀の強固な同盟関係を築くため費禕は呉に出向く

諸葛瑾2

 

孔明は、南中平定戦が終わると、費禕に呉の使者を命じ、送り出します。この当時、蜀と呉は同盟しておりましたが、両国の関係は良好的な関係とは言えず、いつ同盟が破綻してもおかしくない状態でありました。費禕は、呉と蜀の強固な同盟関係を築くため、呉に向う事になります。費禕は呉の国に到着すると、諸葛恪(しょかつかく)などから論戦を挑まれます。しかし彼は、態度を乱さず、筋道を立ててしっかりと答え、諸葛謹らの論戦に屈する事はありませんでした。孫権は、この論戦の様子を見て費禕に「あなたは、蜀の政権において、重要な人物になるでしょう」と大いに褒められたそうです。費禕は帰国後、呉との関係回復に努めた事を孔明は大いに褒め、侍中(皇帝の側近)に昇進します。

 

孔明にお願いされて、北伐に従う

孔明 出師

 

費禕は、呉との関係回復に成功した後、孔明にお願いされて参軍(総大将のアドバイス役)に任命され、北伐に従軍します。北伐軍には、魏延(ぎえん)楊儀(ようぎ)と言う二人の武将がおりました。この二人は、常に喧嘩をしており、喧嘩が激しくなると、魏延が刃を抜き楊儀を脅す場面が出る程で、費禕はその度に、彼らの間に割って入り、物事の分別を教えてなだめるなど、調整役として奔走しておりました。

 

三国志の作者である陳寿が語る費禕の人物像

陳寿は批判の的

 

三国志の作者である陳寿は「魏延と楊儀は優れた人物であったが、両者はいがみ合あっていた。能力があっても性格に難がある二人の能力を使えるようにしたのは、費禕が居たからである」と彼の調整能力を褒めています。

孔明が五丈原で亡くなると遺言に従う

 

孔明過労死

 

孔明が五丈原で亡くなると、彼は孔明からの遺言で「自分の死後は、軍を撤退させるように」と伝えられました。姜維(きょうい)や楊儀など主だった武将は撤退することに賛成します。しかし魏延が反対する可能性が高いため、費禕は彼の陣中を訪れ説得を行います。魏延は、諸将の不安通り、彼の説得を聞き入れず、撤退に猛反対します。そのため費禕は魏延を残して、撤退を開始します。魏延は本隊が自分の軍勢を残して、撤退の準備をしていることに激怒し、本隊より先に撤退して、撤退する道を破壊し、本隊の撤退を妨害します。費禕は、撤退する道が魏延により破壊されている事を知り、魏延の軍勢を打ち破り、彼を捕縛し、処刑することでこの事件を収めるのです。

 

蜀の三代目丞相として、政権を支える

 

費禕は、蒋琬が蜀の政権のトップに立つと、尚書令(皇帝の文章を管理する部署)に任命され、共に蜀の政権を支えていきます。費禕の尚書令時代に彼の優秀さを伺う事ができるエピソードがあったので紹介します。

 

仕事がバリバリできる男

劉寛 酒

 

尚書令の職はかなりの激務でありましたが、費禕は難なくこなし、暇を見つけては博打や宴会などを催していたそうです。費禕の友達である董允は、彼の行動を見て自分も彼の行動を真似したそうです。しかし、たった数日で仕事がどんどんたまっていき、処理ができなくなってしまい、彼は「自分と費禕の能力の差がこんなにあるとは、思わなかった。一日中仕事をしていても全く仕事が減らない。私は彼の足元にも及ばない」と周りに語ったそうです。この事から分かると思いますが、費禕は、非常に優れた事務能力を備えておりました。そんな彼は、蒋琬が持病の病により亡くなると蜀のトップとなり、政権を支えるべく奮闘します。

 

費禕がトップになった翌年、魏が蜀に侵攻

 

費禕がトップになった翌年、魏が大軍を率いて、蜀に侵攻してきます。彼が総指揮を取り、王平(おうへい)と協力して魏軍を打ち破ります。費禕はその後、漢中に駐屯し、軍事・政治・外交全てを取り仕切り、蜀の国力増強に努めます。そんな中、姜維は費禕に「蜀の国力はだいぶ増強され、北伐を再開したい」と申し入れます。

 

姜維の提案を却下する費禕

姜維

 

しかし費禕は「丞相(孔明の事)ですら魏を倒すことはできなかったのに、どうして我らが、倒すことができようか」と姜維(きょうい)の提案を退けます。軍事に重きを置くより、内政に注力したため、年々国力は増加していく一方でしたが、費禕は悲劇に襲われます。魏の将軍である郭循(かくじゅん)が投降を申し入れ、費禕は快く受け入れ、宴会を催します。

 

費禕の最期

北伐したくてたまらない姜維

 

彼は軽く酔ったところを郭循に斬り殺されてしまうのです。郭循はすぐに捕えられて、処断されますが、費禕の傷は深く、亡くなってしまうのです。彼の死後、姜維(きょうい)らが国政を握り、連年北伐を行います。そのため、国力は年々減っていき、ついには魏に侵攻されて、蜀は費禕の死後、約20年で滅亡してしまうのです。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

費禕は政治家として非常に優秀でしたが、度胸の据わり方もすごかったそうです。彼の度胸のすごさが分かるエピソードをご紹介して今回は終わりたいと思います。魏が蜀に侵攻し出陣前の慌ただしい時に、囲碁仲間である来敏(ライビン)が彼の元にやってきて「あなたとしばらく会える機会が無いので、囲碁の決着をつけようじゃないか」と時に申し入れます。費禕はうなずき、囲碁が開始されます。彼らの周りを、兵士や伝令たちが慌ただしく走り回っているのを見て来敏がついに「あなたを試すために、勝負を申し入れたのだが、あなたの肝の太さなら、総指揮官として十分にやっていけるため、なんの心配もいらないな」と彼に伝え、来敏は去っていきます。費禕は来敏の予想通り、魏軍を打ち破り、魏の侵攻から蜀をしっかりと守りきったのです。出陣前の忙しい時に、遊ぼうぜと言う来敏はどうかしていると思いますが、周りを気にせず、囲碁に集中できる費禕の度胸の据わり方のすごさがうかがえるエピソードでした。

 

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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