【リアルチート】光武帝・劉秀(りゅうしゅう)ってどんな人?優れた政策と逸話 Part.3

2015年11月30日


 

光武帝劉秀part1 01 劉秀、陰麗華

 

全三回でお送りしてきた光武帝・劉秀(りゅうしゅう)のお話もこれで最後です。

今回は後漢王朝の礎を築いた光武帝・劉秀の政策と彼の逸話をご紹介していきたいと思います。

 

前回記事:後漢の始祖・光武帝劉秀(りゅうしゅう)ってどんな人?青年期は貧しいが性根の優しい人物Part.1

前回記事:後漢の始祖・光武帝劉秀(りゅうしゅう)ってどんな人?苦難に耐えて皇帝になる Part.2

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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光武帝・劉秀が行った優れた政策

光武帝

 

劉秀は天下を統一した後、数々の優れた政策をおこないます。

劉秀が天下を統一した時、中国の民は激減しておりました。

そこで彼が初めに行ったことは、人口を増加させるため、

奴婢(男女の奴隷。当時奴隷は民の人数に入りませんでした)を解放させる政策を行います。

 

 

 

奴婢(ぬひ)を解放し中国の民を増加させる

光武帝劉秀part1 02 劉秀、陰麗華

 

劉秀は奴婢(ぬひ)を解放させる事で、激減した中国の民を増加させさせることに成功します。

また奴婢を解放して民の数を増加させるとともに「この世界で人が一番尊い」

から始まる詔(みことのり)を発し、

普通の民と奴婢を法の上で平等にする政策を発令します。

劉秀は続いて兵士となっていた民を大部分帰農させて、

農業の生産性向上を図る屯田を実施します。

 

はじめての孫子の兵法

 

屯田(とんでん)ってなに?

屯田(とんでん)ってなに?

 

屯田ってなんぞやと思う人が多数いると思います。

簡単に説明しますと、平和な時は田畑を開拓させ、

緊急事態になった時に兵士として招集する制度です。

この政策を実施する事で、反乱で荒れていた田畑を開拓し、

農業の生産性は年々増加することになりました。

また王莽(おうもう)の時代に税の取り立てが厳しく、民衆は荒んでおりました。

そこで民衆の人心を安定させるため、

税率を引き下げて民衆の人心を安定させます。

 

【次のページに続きます】

 

 

 

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