この記事の目次
北伐でも活躍した趙雲
孔明は蜀の主力軍を率いて、祁山へ出陣します。
孔明は魏の兵数を減らすため趙雲を箕谷(きこく)へ出陣させ、囮の役割を命じます。
趙雲が囮になって魏軍を引きつけますが、孔明率いる蜀軍は戦いに敗北。趙雲は孔明が敗北した事を知り、共に出陣していた鄧芝(とうし)と共に見事な退却戦を行い、魏軍の追撃を防ぎます。
趙雲はこのように様々な戦いで功績を残していた事から、蜀を代表する将軍の一人として数えられることになります。
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大阪夏の陣で活躍する毛利勝永
毛利勝永は大阪夏の陣で大いに活躍します。
勝永は四千程で家康本陣の正面である天王寺口に布陣。
彼は両軍の戦いが開始されると本多忠勝の息子・忠朝や小笠原秀政を討ち取ります。
さらに家康本陣前に布陣する9つの敵将の陣を撃破し、家康本陣に突撃します。その頃真田幸村の軍勢も突撃しており、家康本陣は大混乱。
勝永と幸村の両軍は家康を討ち取る寸前まで追い詰めますが、幸村の軍勢が壊滅してしまったため、勝永も退却を決意します。
だが退却を決意した勝永軍の周りは、家康を助けに来た軍勢に四方八方から攻撃を受け、絶体絶命の危機に陥ります。
しかし彼は攻撃を仕掛けてきた徳川勢に猛反撃。
この反撃により、徳川勢を怯ませ、見事に城内へ退却します。
大阪夏の陣で真田幸村の活躍が有名になっていますが、実は毛利勝永もかなりの活躍をしているのです。
大河ドラマ「真田丸」を見る際は勝永の活躍にも注目して見ると、また違った楽しみがあるかもしれませんね。
武勇に優れた二人は数々の戦を駆け抜けた点が共通点その二といえるでしょう。
趙雲と毛利勝永の共通点その3:後世に名を残す
趙雲は「季漢輔臣賛」という書物で「重厚な性質で精鋭の兵士を率いて勲功を立てた臣」と紹介されています。
また現在では京劇や某ゲーム、アニメ、マンガなどでもその名は知られ、中国のみならず日本でもかなりの人が知っている超有名人といえるでしょう。
毛利勝永は大阪夏の陣で活躍したことにより、徳川の将であった黒田長政や加藤嘉明(かとうよしあき)などから大いに褒められます。
また日本に来ていた宣教師は大阪夏の陣での彼の活躍を見聞し「大阪方には真田幸村と毛利勝永の二将がその勇気と鬼神が乗り移ったような猛攻を徳川軍にかけた事により、家康公は死を覚悟し切腹しようとしていた。」と本国へ報告しています。
趙雲と毛利勝永は忠義心と戦において優れた武勇を見せつけた事で後世にまで名を残した点その三として挙げられます。
三国志ライター黒田廉の独り言
蜀の劉備に忠義を尽くした名将・趙雲と豊臣家から受けた恩に報いた毛利勝永の共通点を描いてみました。
趙雲は現在でも超有名な武将です。
しかし毛利勝永は大正末期の作家・福本日南が書いた「大阪城の七星将」に登場していたおかげで大正~昭和初期くらいまでは有名でした。
しかし現在は、真田幸村の活躍に埋もれてしまいました。
そのため、この記事を読んでくださったみなさん、「真田丸」を見た時は毛利勝永にも着目してご覧になるとより一層楽しくご覧になれると思います。
今回はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。
それじゃあまたにゃ~♪
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この記事を書いた人:黒田廉(くろだれん)
■自己紹介:
三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。
何か一言:好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。