父・鍾繇(しょうよう)は大任である西方鎮撫を見事に勤め上げ、曹丕(そうひ)から「偉人」の一人として褒め称えられます。弟・鍾会(しょうかい)は司馬師・司馬昭の参謀役として活躍し、蜀討伐に貢献した人物です。では鍾会の兄である鍾毓(しょういく)は一体どのような人物であるのか紹介していきたいと思います。
鍾繇の嫡男として生まれる
鍾毓(しょういく)は西方鎮撫の大任を勤め上げた魏の功臣鍾繇(しょうよう)の嫡男として生まれます。彼は十三歳で散騎侍郎(さんきじろう)に就任。彼の性格は穏やかな性格で人から好まれ、父と同じ風格を持ち、将来を期待されておりました。また彼の弟である鍾会(しょうかい)は幼いころから頭が良く、彼も将来の魏国担う人材として周りから認められておりました。
曹丕との会見
文帝曹丕は鍾繇の息子達が優秀であると聞き、彼らを呼びます。鍾毓と鍾会の兄弟は曹丕に招かれて宮殿に向かいます。鍾毓は曹丕と会うと緊張のあまり、額から汗を流します。曹丕は「鍾毓。汗を流してどうしたのだ」と質問。
彼は「皇帝陛下と会見し、緊張のあまり雨のように汗を流しているのです。」と答えます。
曹丕は頷き、鍾会の方へ眼を向けます。鍾会は汗一つ流さず、座っておりました。曹丕は「兄はあんなに緊張して、汗を水のごとく流しておるのに、お主はなぜ汗を一粒も流さないのだ。」と質問。
すると鍾会は「私は普段からあまり緊張せず、汗も流さないのです」と立派に答えます。彼らのこの答えに満足した曹丕は彼らに褒美を与え、下がらせます。
孔明の敗退を予測
孔明は打倒魏の旗を掲げ、蜀軍を率いて祁山(きざん)へ進出します。蜀軍に呼応して安定・天水・南安の三軍が蜀に寝返ります。曹丕の跡を継いだ明帝曹叡(そうえい)はこの事態に危機感を感じ、自ら兵を率いて孔明率いる蜀軍の迎撃するため、出陣しようと考えます。鍾毓は「陛下。大将は慌てず、騒がず、中央でどっしりと構えていればいいのです。蜀は必ず撤退するのでご安心ください。」と皇帝自らの出陣に反対意見を述べます。明帝は鍾毓の進言を受け入れ、出陣を取り止めます。その後馬謖率いる蜀軍が街亭で敗れた為、蜀軍は撤退。鍾毓の予見通りに事が運んだ為、明帝は彼を散騎常侍(さんきじょうじ)に昇進させます。
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