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許劭(きょしょう)とはどんな人?三国志時代のインフルエンサー

2016年6月5日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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評論家の癖に、エコヒイキが多い許子将

 

許劭 許子将

 

得てして評論家は、人には偉そうな事を言いながら、

自分は、結構、グズグズだったりするのですが、

この許子将も、実はそうでした。

 

彼の場合には、従弟の許靖との折り合いが悪く、

許靖については、不当に低く評価していました。

 

また、許子将の人物鑑定は、かなり儒教の価値観に偏り

才能はあっても、破天荒な人やモラルが低い人は、

評価しない傾向がありました。

 

許子将を引き合いに孫権を揶揄した曹丕

朝まで三国志 劉虞

 

許子将自身は、謝甄に評価された割には、あまり主君を見る目がなく、

孫策(そんさく)に追い落とされた劉繇(りゅうよう)に病死する

西暦195年まで仕えていました。

 

この許子将、生前は絶大な人気でしたが、後漢が滅んで、

儒教が停滞すると、許子将を批判する人達も出現します。

 

曹丕

 

魏の文帝、曹丕もその一人で、父の曹操は、無名時代に

許子将にキャッチフレーズをつけてもらいブレイクしましたが

曹丕は、儒教イデオロギーでガチガチの許子将が嫌いでした。

 

西暦222年、孫権が形ばかりは頭を下げて、

曹丕に呉王に封じられた時の事

 

「孫権なんぞは、魏と蜀の間を泳ぎまわって

なんとか漁夫の利を狙おうと考えているだけの小物だ、、

荀爽や、許子将のような評論家に、褒められたり、

disられたりして、精々有り難がるがいいわ」

 

などと、許子将を引き合いに出して、軽薄な孫権を揶揄しています。

 

許子将を愚かな人と見なした諸葛恪

諸葛一族

 

また、呉の諸葛恪(しょかつかく)は、

同僚の陸遜(りくそん)に宛てた手紙で、

 

「中原の士大夫達、例えば許子将などは、従弟同士で、

欠点をあげつらい、その為に災いを被る事になりました

愚かな事であります」

 

というような事を書いていて、諸葛恪は微塵も許子将を

尊敬しておらず、むしろ、身内同士で欠点を指摘しあって、

世に悪評を残した愚かな人という扱いです。

 

呉は、かつての楚の領域であり、中原とは風土や文化が違い、

儒教イデオロギーも、あまり浸透していませんでした。

諸葛恪は、真面目ぶった中原の士大夫が裏では足を引っ張りあったり

虚栄心でお互いを褒め合ったり、逆に貶したりするのを、

滑稽な風習と考えていたのでしょう。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回は人物評論で、絶大な影響力を発揮した許子将を紹介しました。

後漢から三国の時代、人材登用は、人からの口コミによるコネ採用ですから、

士大夫層は、許子将のような人物に評価されるのが出世の近道だったのです。

 

しかし、逆に許子将に評価されたいと願う余りに自分を飾ったり、

美談をねつ造したり、逆に悪評を恐れて許子将に会うのを避ける

というような事まで起きました。

 

今は、ネット社会ですが、インフルエンサーのような、

知名度のある人に紹介されて、一夜でネット世界の著名人というのは、

よくある話ですから、許子将は、過去の人物ではなく、

むしろ今、どんどん出てきていると言えるかも知れませんね。

 

本日も三国志の話題をご馳走様・・

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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