諸葛亮孔明の愛に溢れた手紙に感動!歴史に残るほどの親バカぶりに思わずホッコリ笑顔になれる!【誡子書】

2016年4月13日


 

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孔明

 

三国志演義の中では、万能の天才軍師、正史三国志では小国蜀を率いて、苦悩する政治家としての側面が強い、諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)。しかし、そんな孔明には、家庭人としての一面もありました。特に、彼の息子、諸葛瞻(しょかつ・せん)への思いは人一倍のものがあったようです。今回は、物語では、触れられない、父、諸葛亮孔明の姿を追います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孔明の嫁、黄夫人を娶ったのは、不細工好きだからではない

黄月英

 

孔明の妻は、色黒い醜女と評判だった黄承彦(こうしょうげん)の娘、黄月英です。世間では、「孔明の嫁取りは見習うな」と囃されたそうですが、決して孔明が不細工好み、岩鬼そこのけの悪球打ちだったわけではありません。

 

実は、黄承彦は荊州では名士で、黄承彦の妻は荊州の名族、蔡帽(さいぼう)の姉でした。それは、黄家が、蔡家を通じて荊州牧の劉表(りゅうひょう)に繋がっていたという事です。

 

諸葛瑾

 

孔明は、元々は琅邪郡(ろうやぐん)陽都(ようと)の人で、荊州には戦乱を避けて逃れてきた、よそものに過ぎません。人材登用が、ほぼコネであった当時、地元の名士と血縁関係を結ぶというのは、将来の出世の為に絶対必要な事でした。つまり、黄承彦は、孔明の将来を見込んだ青田買いで、娘を嫁にやり、受けた孔明には、荊州の名士として出世したいという打算があったのです。

 



仲が睦まじい、孔明夫妻だが、子供に恵まれない・・

孔明 出師

 

しかし、政略結婚とは言え、孔明と黄夫人の仲は睦まじいものだったようです。ほどなく、子供が授かるかと思われましたが、どういうわけか、二人は結婚しても長らく、子供に恵まれませんでした。

 

そこには、孔明が劉備の軍師として忙しい毎日を送っていた、という理由もあるのかも知れません。或いは、当時としては当たり前の妾(めかけ)を孔明が持っていないので、黄夫人が懐妊しない限り、子供は生まれないという状態だったという事かもしれないです。

 

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弟に子がない事を心配した兄の諸葛瑾(しょかつ・きん)が養子を与える

諸葛瑾2

 

その事を心配した、兄の諸葛瑾(しょかつきん)は、孔明の家が絶えるのを惜しんで、次男の諸葛喬(しょかつ・きょう)を養子として送ります。諸葛喬は、西暦204年の生まれですから、10歳程度で養子に出されたという事かも知れません。

 

諸葛喬

 

諸葛喬は若い頃は、霍弋(かくよく)と共に各地を旅行して見聞を広めたとされていますから、恐らく10代で蜀に至ったのでしょう。彼は、兄の諸葛恪に才能は及ばないものの、人格では父譲りだった、という記録がありますから、清廉で謙虚という、孔明好みの人物と言えます。子供のいない孔明は、この甥っ子に強い期待を掛けました。

 

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西暦227年、諦めていた子供を授かる孔明

孔明

 

ところが、丞相の仕事に邁進していた孔明に吉報がもたらされます。諦めていた男子が誕生したのです、孔明は48歳になっていました。それが、一子の諸葛瞻(しょかつ・せん)ですが、生母が黄夫人かどうかは分かりません。年齢的に、黄夫人が出産したというには難しい年齢だからです。

 

孔明の息子たち

 

もしかしたら、家が絶える事を心配した同僚か親族が、妾を持つ事を勧めて、それに孔明が応じたという事かも知れません。折しも、その年は、孔明が北伐を決行する年でもありました。守るべき、新しい生命の誕生を見て、孔明の中には、「我が子が成長するまでに、魏との戦いに何らかの目鼻をつけねばならない」という気持ちが産まれたかも知れません。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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