長友佑都の「アモーレ」発言!後漢の時代でも普通に使われていた?後漢にやってきたローマ使節

2016年6月6日


 

長友佑都 引用

 

キリンカップサッカー2016のブルガリア戦を終え、日本代表は7-2で快勝しました。

試合後のヒーローインタビューで日本代表DF 、長友佑都選手が、女優の平愛梨さんと

熱愛中である事が、長友選手の発言で明らかになりました。

 

これは、フライデーが両者の交際を報じた事に対する

取材陣の緊急インタビューに応えたものですが、

 

金曜日さんの掲載内容と事実は異なる、妊娠もないし、

結婚の話もない、その事を伝えたかった」

 

とフライデーの記事は事実と異なるという事を

チクリと皮肉を交えて語った上で、

 

「平愛梨さんとは真剣に交際しています。

自分にとって大切な人アモーレです、

イタリア語で“愛する人”という意味」

 

等と、スポーツマンらしく、ストレートに交際を認めました。

(写真引用元:http://cyclestyle.net/

 

アモーレは、歴史の古いラテン語

 

 

このアモーレ、覚えやすいのと、長友選手が使用した事で、

ツイッターを中心に大ブームになっているようです。

 

現在のイタリア語である、アモーレですが、

実際には、もっと歴史が古く紀元前から使われていた

言葉だという事を御存じですか?

 

Amorは愛を意味していた・・

曹操01

 

現代イタリア語の祖先はラテン語と言います。

このラテン語は古代ローマ帝国の公用語で、ローマが領域を

広げるに従い周辺国にまで拡大していきました。

 

イタリアはもちろん、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語、

フランス語などは、このラテン語の方言に当たる

俗ラテン語から派生した言葉だと言われています。

 

アモーレは、ラテン語では、Amorになります。

 

長友選手のように、「私はあなたを愛しています」と発音する場合には、

 

Ego sum in amore cum vobis

 

と書き、真ん中にamoreが入ります。

ちなみに、最初に来るEgoは、我という意味で現在でも、

Egoist(自己中心主義者)という風に使用されます。

 

なんと、西暦166年に中国にやってきたローマ使節

テルマエロマエ

 

はじさんでは、西暦97年、甘英(かんえい)がローマを目指して

シリアまで到達しながら挫折した話を掲載しましたが、

それから70年程後、西暦166年、後漢の桓帝(かんてい)の

延熹(えんき)九年にローマからの使節が後漢に到着した

という記述が出てきます。

 

この西暦166年は、曹操が11歳という時です。

もしかしたら、曹操は、袁紹や袁術と共に、

このローマ使節の事を噂していたのかも知れません。

 

曹操

 

曹操「大秦から、金髪、碧眼の使者がきたそうだ。

なあ、本初、、一行には、若い女はいないのか?」

 

袁紹が宦官を惨殺に行く

 

袁紹「そこまで、俺が知るものか、、

ただ、大秦は遥か西にあり、

我が国に匹敵する面積のようだぞ」

 

袁術

 

袁術「ふん、髪や眼ばかりピカピカしていても、

血筋が悪くてはな! 所詮、胡人の国ではないか」

 

もしかすると、不良仲間の3人で、

こんな噂をしあったのかも知れません。

 

使節は皇帝マルクス・アウレリウス・アントニウスの使いを名乗り、

何故か、西域を通らずに、当時、後漢の勢力下にはいっていた

日南(ベトナム)に到着して、贈り物の象牙と犀角、

そして鼈甲(べっこう)を献上しています。

 

後漢では、中山 安敦(あんとん)として、

その使節を記録しています。

 

それは本物のローマからの使節だったのか?

 

 

 

ただ、ローマ使節が洛陽ではなく、日南に到着してしまっている事や、

同様の記録がローマ側の文書には存在しない事、そして、象牙や犀角、

鼈甲などは、ローマの産物ではなく、アフリカ沿岸のモノである事から

 

民間のローマの商人が正式な使節と偽り贈り物を献上したという

可能性も指摘されています。

 

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霊帝は西域趣味だったので、洛陽にはローマ人もいた筈・・

霊帝

 

ローマ使節が訪れて間もなく、後漢では桓帝が崩御して、霊帝が即位します。

政治的には無能の代名詞で知られる霊帝ですが、度外れた西域趣味でも知られ、

彼の時代に、椅子とテーブルの生活、ワインや多彩な肉料理などを楽しむ

西域のライフスタイルが、まず上流階級で広がっていきます。

 

この頃には、西域からも大勢の人間がやってきたので、

中には、ローマと漢を往来する商人もいて、あるいは、

ラテン語も飛び交っていたかも知れません。

 

人種や民族を超えて、恋も生まれ、洛陽の片隅で、

amoreのささやきも聞こえていたかも知れませんね。

 

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