体内の活性酸素を抑えるとして、ブームになった水素水生成器ですが、
その過剰な宣伝に対して、ついに行政からイエローカードが提示されました。
それは、どういう理由からなのでしょうか?
この記事の目次
水素水生成器には、体内の活性酸素を抑制する力はない?
水素水生成器とは、蛇口にセットする事で電気分解により水素を発生させ、
それが水に含まれる活性酸素の一つ、ヒドロキシラジカルを抑制するとされ、
体内の活性酸素を減らせるとされています。
しかし、国民生活センターは、水素水について、3月10日、
「その飲用による効果を示したものではありません」と指摘したのです。
調査によると、水素水生成器が水道水の中のヒドロキシラジカルを抑制する事は
事実ですが、その水素水を飲んだ所で、体内の活性酸素が抑制されるという
データは1つも存在しないとの事です。
水素水については、これまでも過剰な宣伝が問題にされていて、
「飲むだけで若返る、病気が治る」などと思わせるようなキャッチコピーが多く
行政も野放しには出来なくなって注意喚起しているそうです。
三国志の時代にもあった、名君、曹叡がハマった奇跡の水
さて、現在は科学の力で最もらしくされている、いわゆる奇跡の水ですが、
このような水は、三国志の時代にもブームになっていました。
よく考えると、あの張角(ちょうかく)も、病が治るという札を焼いて
水に混ぜたものを薬だと称していたのですから、ありそうな話です。
この奇跡の水にハマったのは、事もあろうに魏の二代皇帝・曹叡(そうえい)でした。
西暦235年、寿春の農民の妻が突如、神憑りになり、
「飲めば万病が治る」という神水を人々に振る舞い始めます。
その噂はたちまち広まり、水を飲んで病気が治ったという人が続出し、
神水は、魏の宮廷にまで捧げられる事になります。
この奇跡の水を皇帝曹叡は、何故か信じてしまったのです。
西暦235年は、前年に蜀で諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)が亡くなり、
北伐の重圧から解放された曹叡が、色々オカシクなる時期だとは言え、、
あらら・・合理主義者だった祖父の曹操(そうそう)が知ったら泣きそうです。
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糖尿病で苦しんでいた卞蘭に奇跡の水を勧め、即断られる!
さて、当時の宮廷には、曹操の正妻だった卞(べん)夫人の甥の
卞蘭(べんらん)という人物がいました。
彼は、当時消渇(しょうかつ)と呼ばれた糖尿病に苦しんでいて、
水を飲んでも飲んでも喉が渇くと訴えていました。
それを知った曹叡、今こそ奇跡の水の出番だと卞蘭を呼び出して言います。
「卞蘭!朕のこの奇跡の水を飲みなよ!病気もすぐに治るよ」
目をキラキラさせて、水を勧める曹叡に、卞蘭は言いました。
「いえ、病を治すには薬を飲みます、そんなインチキ水飲みません」
うわーーーーっ卞蘭、奇跡の水を全否定です。
そんなモノ飲まないで薬を飲みます、、なのでハッキリ、
水をインチキだと断言しているのです。
それを聞いた曹叡はぶんむくれになり、顔色を変えて怒ったそうです。
結局、卞蘭は、糖尿病が悪化して急死しますが、当時の人々は、
奇跡の水をインチキだと諫言して自殺したのだと思い込んだそうです。
そこまで人気の無い、奇跡の水っていったい・・
曹叡、病に倒れて、奇跡の水を飲むも効かず、インチキを悟る・・
曹叡は西暦239年に死去しますが、その時に自身が信じた、
奇跡の水を沢山飲んだようです。
しかし、残念ながら効果はなく、ここではじめて水がタダの水だった。
すなわち、インチキだったと気づくに至りました。
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三国志ライターkawausoの独り言
水は、人間の生命に絶対必要なものなので、そこに科学的な、
或いは魔力が秘められているという話は、特に病気に悩んでいる人には、
とても魅力的に見える事でしょうね。
しかし、そこに付け込んでの誇大広告は、やはりいけません。
そういうインチキを信じ込んで、正式な治療を受けない事になると
逆に生命にも関わる事になるからです。
本日も三国志の話題をご馳走様・・
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