将軍は実際に兵を率います。
戦場において一切の責任が生じるのも将軍です。
兵法に通じていないといけませんが、統率力も大切です。
リーダーシップと決断力が要求されます。
軍師はあくまでも将軍の補佐です。
参謀長とも呼べるかもしれません。
実際に兵を率いることはせずに将軍に助言します。
兵法に通じていることはもとより、政治力も必要です。
将軍と軍師の違い
現代における政治家と秘書の関係が将軍と軍師の関係かもしれませんね。
ちなみに経験を積んだ秘書は政治家として台頭してきます。
三国志のなかでも最初は補佐役でもやがて将軍として名を馳せる英雄は数多くいます。
呉の周瑜(しゅうゆ)はその筆頭ではないでしょうか。
影の軍師に徹するもの
世の中では、兵を率いることをせずにひたすら補佐役に徹するものもいます。
三国志のなかでは、魏の賈詡(かく)や蜀の法正(ほうせい)などが挙げられます。
武よりも知略で勝負するタイプです。
もちろんそのアドバイスを聞き入れる器量の
持ち主が将軍でなければ彼らの存在価値は薄れてしまいます。
かつて袁紹(えんしょう)に仕えた田豊(でんほう)や劉璋に仕えた張松などが失敗した典型です。
彼らは仕える人間を誤り、主君の命令によって処刑されてしまいます。
軍師を目指すものにとって、誰に仕えるかは死活問題です。
司馬懿の出世
司馬懿は始め曹丕(そうひ)の側近として仕えました。
参謀のひとりです。
実際に魏に侵攻してきた関羽を撃退する方法を曹操に献策したのが司馬懿とされています。
仮に司馬懿を軍師と見るならば、その仕事はここまでになります。
曹操が病没し、曹丕が跡を継ぐと重用された司馬懿は軍を直接率いることとなるからです。
司馬懿が本当に誰もを唸らせる功績をあげるのはここから先になります。
ちなみに司馬懿は西暦230年には大将軍という将軍位で最高位まで出世しているのです。
しかし忘れてはならないのが中華という国の気風です。
中華は伝統的に昔から武より文が重んじられてきました。
将軍が権威を持つのはあくまで戦時中であって、平時は高級官僚が国を引っ張ります。
将軍と政治家、「軍師連盟」の主役である司馬懿は、
この二足の草鞋を履いて活躍した数少ない英雄のひとりです。
司馬懿の将軍としての功績
司馬懿が軍を率いて武功をあげたのは一度や二度ではありません。
西暦226年には侵攻してきた呉軍を撃破。
西暦228年には内応しようとした孟達(もうたつ)を撃破。
西暦235年には侵攻してきた蜀軍を撃破。
西暦238年には反乱を起こした公孫淵を撃破。西暦241年にも侵攻してきた呉軍を撃破。
「軍師連盟」では、その戦いのすべてが語られるはずです。
もちろん蜀の諸葛亮孔明の北伐を阻止したことでも有名です。
「救国の英雄」として魏にその人ありと謳われるのもうなずけます。
司馬懿は兵法に通じているだけでなく、実際に兵を率いることも卓越していたわけです。
軍師というよりも将軍としての活躍が目を見張ります。
これは呉の陸遜にも当てはまる話かもしれません。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
三国志のゲームの世界において軍師の存在はとても大きなものがあります。
知力が高いほどその助言は正確なものになるからです。
軍師の獲得は天下統一に欠かせないプロセスです。
司馬懿は軍師として最高級の逸材として仕事をしてくれます。
それに、なにせタイトルが「軍師連盟」だけに
司馬懿を軍師として捉える風潮は世界規模であるのだと思います。
しかし自らが率先して動き、他人を動かす力というものは軍師の価値以上のものといえます。
司馬懿を軍師という狭い世界で量るのはややもったいないのではないでしょうか。
三国志最強の将軍。
呂布(りょふ)や関羽(かんう)、張遼(ちょうりょう)など猛者がひしめき合っていますが、
「最強の称号」それはもしかしたら司馬懿にこそ相応しいのかもしれませんね。
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