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譙周(しょうしゅう)とはどんな人?劉禅に降伏するのが得策であると説いた政治家

劉禅に降伏を勧める譙周(しょうしゅう)




姜維

 

蜀は姜維(きょうい)の連続した北伐によって国力が減衰していくと魏の大軍が蜀へ侵攻を開始。

姜維は蜀の諸将を率いて、剣閣(けんかく)によって防御しますが、

鄧艾の別働隊が蜀の内部に侵入したことがきっかけで、劉禅は降伏し蜀は滅亡します。

ラストサムライ羅憲

 

この時劉禅はすぐに降伏することを良しとせず、蜀の南部もしくは呉との国境である永安によって

魏に抗戦しようと考えておりました。

そんな中今回紹介する譙周(しょうしゅう)一人が魏へ降伏するように

劉禅へ勧めたことがきっかけで蜀は魏へ降伏することになります。

なぜ彼は魏へ降伏することを勧めたのでしょうか。

彼の生い立ちと共に魏へ降伏することを進めた原因を紹介していきたいと思います。

 

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長身で素朴な風貌

譙周

 

譙周は身長が190センチ以上もあり、孔明よりも高い身長でした。

こんなに高い慎重であったにも関わらず、人に威圧感を与えない素朴な雰囲気を出して、l

接しやすい人であったと記しております。

 

 

学問のしすぎで頭がおかしくなった!?

書物

 

譙周は父親があらゆる学問を研究していたところを幼い頃から見ていたことがきっかけとなり、

彼も青年になると学問へ打ち込んでいきます。

父は彼が青年になった時に亡くなってしまったことから、

兄と母の三人で暮らしていくことになります。

彼は一家の大黒柱である父が亡くなってしまったためかなり

貧しい暮らしを強いられることになりますが、

彼は一向に気にする風を見せずに学問へ打ち込んでいきます。

ある時彼は素読を行っている姿を目撃した母は、

勉強の妨げになると思いそのまま部屋を出ていくことにします。

すると家の中から譙周が大きな笑い声を上げておりました。

母はびっくりして家の中に入ると譙周が素読を行いながら一人でニヤニヤしていたそうで、

母が彼に「どうしたんだい。そんなに面白いことが書いてあるのかい」と尋ねると

「いいえ。ただ勉強していることが無性に面白くなり、笑ってしまったのです。」と答えます。

学問に打ち込みすぎて少し壊れてしまった譙周青年ですが、

彼はその後も学問へ打ち込み六経に精通していくことになります。

 

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朝まで三国志1  

 

孔明に笑われてしまう

孔明 軍師

 

譙周はその後蜀に仕えることになりますが、孔明と初めて会った時に事件が起きます。

彼は素朴な風貌をしていましたが、服装はビシッとしてなく話した時もどもりが酷くて、

孔明の側近たちは彼を見て笑ってしまい、孔明も彼の風貌を見てクスッと笑ってしまいます。

孔明は冷静沈着でユーモアな部分が少ない人でしたが、

彼を見て笑ってしまうなど意外な一面をこのエピソードは表しております。

譙周は孔明や側近に笑われても気にする風を見せず、職務に励んでいきます。

 

蜀の二代目皇帝である劉禅を諌める

劉禅

 

譙周は孔明の死後、太子家令(たいしかれい)として

劉禅の太子である劉璿(りゅうせん)の教育をすることになります。

この時彼は宮中へ赴くことになるのですが、

後宮では劉禅が毎日女遊びや酒、音楽などにうつつをぬかして、

政治をほっぽらかしにしておりました。

この事を伝え聞いた譙周は劉禅に対して「先帝の志は未だ達成されていないのに、

陛下はなぜ遊び呆けているのですか」と諌めます。

劉禅はこの言葉を聞いて少しの間大人しくしておりましたが、

再び遊びに夢中になってしまいます。

 

陳祇と「北伐」について議論

孔明

 

譙周はその後も宮中において劉璿の教育に力を入れておりましたが、

孔明の後継者で抜群の能力の高さで蜀の国家を運営してきた費禕(ひい)が亡くなってしまいます。

その後姜維費禕の跡を継ぐことになりますが、彼は蜀軍を率いて連年北伐を敢行。

そのため蜀の国内は荒れてしまい、国力は大いに低下していくことになります。

譙周は蜀の国政を担当していた陳祇に対して北伐を連続して行うことに意義があるのかどうか

を議論します。

そして陳祇と行った議論の内容をまとめて彼は論文を作ります。

 

「仇国論」を作る

魏延と姜維

 

譙周は陳祇との議論の内容をまとめた論文である「仇国論(きゅうこくろん)」を作って、

北伐がいかに意味のないものであるかこのまま北伐を続けていけばどうなるかを綴った論文です。

姜維はこの論文を手に入れ読むと、自分が連続している北伐を諌める内容であることに驚き、

その後北伐を少しですが控えるようにします。

しかし事き既に北伐を控えたところで、蜀の国力は立ち直れないほど低下しておりました。

 

魏が蜀討伐へ向けて大軍を動かす

兵士 病気

 

司馬昭(しばしょう)は蜀が姜維の連年の北伐によって国力が大いに低下していると分析。

そして彼は鐘会(しょうかい)を蜀討伐の総大将に任命すると、

大軍を与えて蜀へ攻撃を行わせます。

姜維は魏軍が大軍を率いて蜀へ攻撃を仕掛けてくるとの報告を受けると、

要衝の地である剣閣(けんかく)へ籠り、魏軍を迎え撃つ体勢を整えさせます。

魏軍は姜維がこもる剣閣へ猛攻をかけますが、なかなか落とすことができませんでした。

 

別動隊を率いて蜀の内部へ侵入

鍾会

 

鐘会の戦が進捗しない事へ危機感を感じた鄧艾(とうがい)は鐘会にお願いして、

別動隊を率いさせてほしいと提案。

鐘会は彼の提案を受け入れて、別動隊を率いることを許します。

鄧艾は蜀の険しい山道を何とか制覇。

そして蜀の内部への侵入を成功し、次々と敵の城を陥落させていきます。

 

議論百出する蜀の朝廷

劉禅

 

劉禅は鄧艾率いる魏軍が蜀の中心地である成都へ近づいてくるとどうすればいいのか、

諸将や側近達を集めて議論させます。

この時に出てきた案は二つに分かれます。

一つは「呉へ亡命すべきだ」との意見と「南へ逃げて、南中で敵と戦うべし」との

案に分かれます。

それぞれ意見が半数ずつに分かれてしまったことから、

大いに議論は盛り上がりますが中々決まりませんでした。

そんな中一人譙周は違う意見を述べます。

 

魏へ降伏するべし

劉禅を説得する譙周

 

譙周は議論が行われている群臣達を遮るため、大声で意見を述べます。

その内容は「呉へ亡命すべしとの意見に従うことはなりません。

なぜかといいますともし陛下が呉へ亡命すれば、陛下は呉に仕えなくてはならなくなります。

そして南中へ向かった後、魏軍に抵抗すればいいとの意見にも私は反対です。

なぜならば南中へ前もって向かう旨を伝えておらず、南中の備えは万全ではない為、

何が起きるか分りません。

ではこの二つの策意外にどのような道を辿ればいいのでしょうか。

それは魏へ降伏することです。

このような危機に陥った状況で抗戦しても勝ち目はなく、

呉へ亡命しても陛下は呉の臣として、孫呉の皇帝に仕えなくてはなりません。

ならば今魏へ降伏することで、

魏は陛下を冷遇することはなくむしろ厚く遇してくれるのではないのでしょうか。」と

意見を述べます。

 

劉禅

 

この意見を聞いて劉禅は魏へ降伏することを決めて、

鄧艾に降伏する旨を伝える使者を派遣。

こうして蜀は滅亡することになります。

 

降伏後は侯の位を授かる

司馬昭

 

譙周は蜀を降伏させ天子の安全を考えた臣であるとの評価を司馬昭から受け、侯の位を授かります。

三国時代を終わらせることに成功した晋の皇帝司馬炎の時代にも彼は優遇され、

騎都尉(きとい)の位を贈られております。

魏へ降伏したことで、大いに優遇された余生を送った譙周ですが

亡くなる一年前に弟子である陳寿と再会すると「私はもうすぐ亡くなるが、

君は君の追い求める道を進みなさい。」と言葉を残しております。

 

三国志ライター黒田廉独り言

黒田廉

 

譙周は蜀の人民と土地を荒廃させることなく、

魏へ土地を渡すことに成功し司馬昭から大いに高評価されて侯の位をもらうことになります。

しかし私はもう少し魏に抵抗してから降っても遅くはなかったのではないかと思います。

理由1:羅憲(らけん)率いる蜀軍がまだ永安で健在で、そこへ逃げこんだ後呉軍と協力して

魏と戦えば状況を変化させることが可能であったかもしれません。

理由2:南蛮へ逃げて鄧艾軍を迎撃すれば、北はまだ姜維率いる蜀軍が鐘会を抑えており、

東から羅憲率いる蜀と南蛮にいる劉禅軍が挟み撃ちすれば、

鄧艾を追い払うことが可能であったかもしれません。

このように考えると譙周が劉禅に降伏を進めたのは時期尚早だったのではないのでしょうか。

皆さんはどう思いますか。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。

じかいもまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃ~またにゃ」

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:三国志時代に降伏や降参するときはどうやってサインを出していたの?

関連記事:【素朴な疑問】三国志時代はどうやって兵士を集めていたの?

 

【蜀のマイナー武将列伝】
魏のマイナー武将列伝

 




黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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横山三国志を読んだことがきっかけで三国志が好きになりました。
その後の日本史・中国史を学びました。
またいろいろな歴史小説を読んでおります。
現在はまっている歴史小説は宮城谷昌光氏の劉邦です。

歴史人物:

張遼、孟嘗君、張作霖など

何か一言:

今年も頑張ってはじさん盛り上げていくにゃー!!

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