西暦208年(建安十三年)10月の戦いは、
三国志において目まぐるしい変化があった年です。
6月に曹操(そうそう)が丞相となりました。
秋(とき)同じくして孫権(そんけん)が宿敵である黄祖(こうそ)を破ります。
8月には荊州の牧である皇族の劉表(りゅうひょう)が病死しました。
翌9月には南進してくる曹操に劉表の後継者たる劉琮(りゅうそう)が全面降伏。
そして10月に世にいう「赤壁の戦い」が起こるのです。
それは曹操と孫権・劉備同盟軍の最初の戦いでもありました。
荊州に住んでいた人たちにとっては次から次に襲ってくる変化に対応できなかったことでしょう。
正確な情報がわからず右往左往したことだと思います。
仮にネットが整備された情報社会であっても
この急激な変化には太刀打ちできなかったのではないでしょうか。
曹操の誤算
攻め手である曹操の誤算は荊州がまったく抵抗せずに降伏したことでした。
多少の損害を覚悟していた曹操だったでしょうが、
荊州の新野を守っていた劉備は逃走し、荊州全域は戦わずに降伏。
十万にのぼる兵力と巨大な水軍を曹操は簡単に手に入れてしまいます。
このために玄武池まで整備し、水軍を鍛えてきたのはなんだったんだー!
って肩透かしを食らった感じですね。
別にそれで怒りを覚えたわけではないでしょうが、
あまりの手ごたえのなさに曹操が拍子抜けしてしまったのは致し方ありません。
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誘導したのは誰?
曹操軍を荊州南部の江陵まで引きずり込んだのは劉備軍です。
劉備は荊州の住民を引きつれながら南下し、曹操軍を誘導します。
これにより曹操軍は長江付近の江陵まで進軍することになり、
劉表の遺産ともいうべき水軍を手に入れるのです。
この計画は劉備の新軍師である諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)が立てたと云われています。
諸葛亮孔明は敗北を単なる敗北で終わらせず、次なる一手に結びつけるように退却したのです。
住民を引きつれているために進軍が遅くなったことも計算のうえで、
曹操軍はまんまと餌に食つきます。
南進の危険性を説いた郭嘉
曹操軍は40万+10万に膨れ上がっていました。
孫権軍は約10万。
劉備軍は2千とも3千とも云われていますがとにかくちっぽけな弱小勢力です。
劉備にとって曹操の進軍を止めるためには孫権の力が絶対的に必要でした。
そのために江陵まで曹操軍を誘い出し、孫権を巻き込んだのだとも云われています。
江陵まで無傷で進軍した曹操は手にした水軍を使い隣国の孫権を攻めます。
一気にそこまで侵攻するつもりはなかったでしょうが、曹操にとって状況的にはあまりに優勢でした。
ここで攻めないわけにはいきません。普通に考えて負けるわけがないのです。
しかしここで曹操の思惑とは違った状況がまたも起こります。
兵たちが南の水に慣れず、疫病が発生したのです。
これはかつての軍師である郭嘉が予想したことでもありました。
その言葉を覚えていた賈詡(かく)と程昱(ていいく)は揚州攻めを止めましたが、
勢いにのった曹操を止めることはできませんでした。
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内応に騙されて敗北
孫権軍の水軍の強さは予想以上で曹操は苦戦します。
長江の北の烏林に水軍の陣を敷き持久戦となりました。
この拮抗した状況を一変したのが孫権の重臣である黄蓋(こうがい)の偽りの内応でした。
圧倒的な兵力の差から内応する将兵が続出していた
孫権の陣営においてまさに一発逆転を狙った一手です。
黄蓋は東南の風が吹いた日に曹操軍に投降し、油断を突いて一気に火攻めをします。
曹操の水軍は燃え上がり、曹操は命からがら退却するのです。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
もし郭嘉が生きて南征に従っていたら、曹操の独断専行を許さなかったことでしょう。
荊州を制した後は、じわりじわりと孫権に圧力をかけ、時をかけて潰していたことだと思います。
それこそ劉備軍など歯牙にもかけなかったに違いありません。
仮に赤壁の戦いまで進んだとして、おいそれと黄蓋の内応にのったりはしなかったはずです。
郭嘉の先を見通す力は曹操を凌ぐほどでしたから。
それがわかっていただけに曹操は赤壁の戦いの敗戦の後、郭嘉がいなかったことを嘆いたのです。
もし郭嘉が存命であったら、天下三分の計は成り立たなかったのではないでしょうか。
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