曹操軍の軍師には袁紹軍との戦いで曹操には十の勝因があり、
袁紹には十の敗因があると説いた郭嘉(かくか)や曹操の創業当時から彼を支え、
「王佐の才」と言われる程の才能を持った軍師荀彧など有名な軍師を上げればキリがないほど
曹操軍には智謀の士を多く有しておりました。
そんな中的確な奇策を曹操に献策するも、
記録に残さなかったために知られることがなかったため地味な軍師と思われている人物がおりました。
その名を荀攸(じゅんゆう)と言います。
彼はじみながら色々な献策をして曹操の覇業を助けておりましたが、
どのような人物であったのでしょうか。
地味すぎてあまり有名ではない荀攸を今回はご紹介していきたいと思います。
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この記事の目次
- 1ページ目
- 青年の時から優秀な人物であった
- 何進から招聘をうける
- 董卓暗殺を計画するも・・・
- 牢屋の中で平然と飯を食って寝る生活を送る豪胆さ
- 平和で豊かな地である蜀郡へ行こう
- 荀彧から呼び出しがかかる
- 曹操に仕える
- 軍師・荀攸の進言(張繍編)
- 2ページ目
- 「退かないで戦いを続けましょう」(BY荀攸『呂布討伐戦』その1)
- 水攻めを提案(呂布討伐戦その2)
- 最大のライバルである袁紹との戦い(延津の対峙)
- 袁家の兄弟を先に討ち滅ぼすべし
- 地味だが曹操を支え続けたおとなしい軍師
- 功績をアピールしなかった理由:曹操から警戒心を抱かれないようにするため
- 魏の功臣として権力の中枢へ
- 荀攸を大事にせよと曹丕へ進める
- 愚鈍に見えるが…
- 三国志ライター黒田廉独り言
青年の時から優秀な人物であった
荀攸は幼い頃に父を亡くしていたため、叔父に育てられます。
青年の時から頭脳明晰で、広陵(こうりょう)の太守である祖父の荀曇(じゅんたん)が亡くなった時、
祖父の部下であった人が墓守をしたいとお願いしてきます。
荀攸はこの話を叔父から聞かされると「その人はなんか悪いことをしてきたので、
祖父の墓守をするという名目で逃げようとしているのではありませんか」と叔父に相談。
叔父は荀攸の相談を聞くとすぐにその墓守をしたいとお願いしてきた人物の調査を行います。
この調査の結果、荀攸の相談通りで墓守をしたいと願ってきた男は、
他県で犯罪を起こしていたことが判明します。
叔父はこの荀攸の直感力をほめ、彼に信頼を置くことになります。
何進から招聘をうける
後漢王朝末期に発生した黄巾の乱を制圧した頃、宮廷内で外戚と宦官の争いが勃発します。
皇帝の奥さんである何皇后の親族である何進は、以前から宦官が気に食わないと思っており、
いつか宦官を全滅させてやろうと企んでおりました。
彼は宦官を一掃する前に名士として名高い人物である人達を集めて部下に加えます。
この中に荀攸も入っており、彼は何進の招聘を受けて朝廷へ就職することになります。
その後何進は宦官討滅作戦を実行しようか考えていた矢先に、
宦官の暗殺にあって亡くなってしまいます。
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董卓暗殺を計画するも・・・
何進が亡くなった後、漢の朝廷を牛耳ったのは西方の有力者である董卓です。
彼は現在の皇帝が相当のポンコツであることから、
皇帝の弟である劉協(りゅうきょう)を皇帝の位に就け、
元皇帝である劉辯(りゅうべん)を部下に命じて殺害。
また洛陽の富豪から財産を取り上げて自分の物にするなどやりたい放題やっていき、
民衆の恨みを買っていきます。
そんな中荀攸は数人の仲間と共に董卓暗殺を計画。
しかしこの計画は実行直前でバレてしまい、荀攸をはじめとする仲間達は全員捕まってしまいます。
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牢屋の中で平然と飯を食って寝る生活を送る豪胆さ
荀攸は董卓暗殺計画が失敗に終わり捕まり、牢屋へブチ込まれることになります。
荀攸と共に捕まった仲間はこのまま殺害されることを恥だと感じて、自殺してしまいます。
しかし荀攸は牢屋で出される食べ物をしっかりと食べて、
夜は平然と寝て尋問を受けた際にもしっかりとした口調で受け答えをしており、
牢屋の番人も大いに驚いておりました。
荀攸は牢屋で過ごすこと数ヶ月、罰せられることもなく牢屋から出されることになります。
彼が時の権力者である董卓の殺害計画を立てていたにも関わらず何も罰せられることなく
牢屋から出ることができたのはなぜなのでしょうか。
それは董卓が彼を罰する前に亡くなってしまったからです。
そのため彼を罰することのできる人間は居なくなったことが理由です。
彼は牢屋から出ると官職を返上して自分の故郷へ帰郷することにします。
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平和で豊かな地である蜀郡へ行こう
荀攸(じゅんゆう)は帰郷した後中原の太守へ任命する話を貰いますが、
動乱の真っ只中の中原では命がいくつあっても足りないと思っているためこの話を断ります。
その後色々と情報を集めてどの場所が中華で安全な場所なのかを検討した結果、
益州が断崖絶壁に囲まれて戦乱から遠く、民衆も戦乱の被害を受けていないことから
土地が豊かであると判断し、彼は蜀郡の太守になりたいと中央へお願いします。
すると朝廷からも「わかった。では蜀郡の太守を命ずる」と彼の願いが聞き届けられます。
こうして彼は赴任地である蜀へ向かおうとしますが、漢中の五斗米道が朝廷に背いていることから、
赴任地へ向かうことができずにとりあえず荊州で益州へ行く方法を探します。
荀彧から呼び出しがかかる
荀攸は荊州で益州へ渡る方法を探しているさなか、はとこである荀彧から手紙が届きます。
その手紙の内容は「公達(こうたつ=荀攸の字)殿お元気でしょうか。
私は今曹操殿に仕えておりますが、彼は素晴らしい才能を持った主人です。
公達殿がまだ仕官先を探しているのであれば一度曹操殿と会ってみてはいかがですか。」と
仕官の誘いの内容でした。
荀攸は優秀な才能を持っている荀彧が曹操をベタ褒めしているのを聞き、
一度会って話くらいはするかと考え、益州行きをやめて曹操の元へ向かうことにします。
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曹操に仕える
荀攸は曹操がいる許(きょ)に到着するとすぐに彼と会見。
曹操は荀攸に軍事・政治を語り彼がどのような能力を持った人物であるのかを観察。
この質問に荀攸はよどみなく自分の考えを述べて曹操を驚嘆させ、
すぐに自分に仕えるようにと説得します。
荀攸も曹操が自分を気に入ってくれてたことに感動し、彼に仕える決意を固めます。
こうして荀攸は曹操に仕えることになります。
軍師・荀攸の進言(張繍編)
曹操は荀攸を軍師に任命したすぐに張繍(ちょうしゅく)征伐を行うべく出陣。
彼はこの時曹操に対して「張繍がなぜ強いのか。
それは彼と同盟している劉表が力を貸しているからです。
そのためまず劉表と張繍を仲違いさせた後、
張繍を征伐すれば苦もなく勝利することができましょう。」と進言。
しかし曹操はこの進言を取り上げることをしなかった為、戦いは敗北で終わってしまいます。
この時曹操は荀攸に「君の意見を取り上げないばかりに敗北してしまった。
申し訳ない」と頭を下げて謝罪したそうです。
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