荀攸(じゅんゆう)とはどんな人?地味だけど的確な献策を行った軍師

2017年1月18日


「退かないで戦いを続けましょう」(BY荀攸『呂布討伐戦』その1)

 

呂布 VS 曹操

 

曹操は河北統一を果たした最大のライバルである袁紹が南下して、攻撃を仕掛けてくる前に

呂布を討伐しておかなかればならないと考え、

休む間もなく張繍討伐戦が失敗に終わるとすぐに次なる目標である呂布討伐戦に出陣。

しかし呂布が下邳城に篭城して曹操軍を迎え撃ったことが原因で、

中々討伐戦ははかどりませんでした。

また呂布軍の軍勢は以上に強いことと攻城戦が長引くことによって、

兵糧が心細くなってきていることから曹操は幕僚である郭嘉や荀攸、荀彧らと会議を開いた時に、

「呂布がこんな強いと思っていなかったから兵糧も多く持ってきてないから兵糧がなくなりそうだし、

そろそろ帰ろと思うのだがどうだろう」と撤退する意向を見せます。

すると荀攸は「殿。ここで撤退したら河北の袁紹が南下するかもしれませんぞ。

そしたら殿が超人的な軍略と武技をもってしても袁紹を倒すことなど出来きません。

ここは退かないで戦いを続けましょう。」と撤退反対の意見を出します。

また郭嘉も撤退することには反対であったため、曹操は軍を引き上げることを中止します。

そして彼は幕僚達へ「お主たちの意見はわかった。では撤退をするのをやめよう思うが、

どうやって呂布を倒せばいいの。」と呂布を倒す策を出すように命じます。

幕僚達は一生懸命考える中、ふたりの軍師が手を挙げます。

 

水攻めを提案(呂布討伐戦その2)

呂布 あっけない 最後

 

荀攸(じゅんゆう)は曹操へ「殿。このまま下邳城(かひじょう)の包囲を続けていても

呂布を討伐することはできないでしょう。

そこで沂水(きすい)と泗水(しすい)の二つの河を決壊させて、

水攻めを行うのはいかがでしょうか。」と提案。

郭嘉も荀攸の進言を支持したことで曹操もこの水攻めの作戦を行う決意を固め、

早速堤防を破壊して水攻めを行ったことがきっかけで呂布が篭城する下邳城から内応者が

続出し陥落することになります。

 

最大のライバルである袁紹との戦い(延津の対峙)

曹操VS袁紹ありゾウ

 

曹操は最大のライバルである袁紹との戦端を開き、戦いを開始します。

この戦いでは曹操軍は袁紹軍の半分以下の兵力しか持っておらず、非常に不利な状態でした。

荀攸は曹操へ「殿。我らと袁紹軍との兵力の差は大き離れており、真正面からぶつかったら

勝ち目はまずないでしょう。そこで袁紹軍の兵力を分断することを考えなくてはならないと

思います。ではどのように兵力の分断を行うかというと、

袁紹軍の背後へ別働隊を派遣して兵力の分断を行うのがいいかと考えます。」と進言。

曹操はさっそく荀攸の進言を採用して、

袁紹軍の背後へ騎兵隊を派遣して背後から攻撃を仕掛けようと見せかけます。

すると袁紹は背後へ大軍を回して挟撃されないように手当を行った事で、

曹操軍と対峙している兵力が少なくなります。

曹操は対峙している兵力が減少したチャンスを見逃さず、

攻撃を仕掛けたことで延津(えんしん)へ攻撃を仕掛けてきた袁紹軍の撃退に成功。

また袁紹軍の二枚看板とされている勇将・顔良(がんりょう)を討ち取る大戦果を挙げることにも

成功します。

この戦いに勝利した後、官渡城攻防戦が行われこの戦いの時も色々な献策を行い

曹操の勝利に貢献をしております。

 

袁家の兄弟を先に討ち滅ぼすべし

袁紹逝く! ゆるキャラ

 

曹操は官渡城攻防戦で勝利をつかんだ後袁紹は曹操に負けたことにショックとストレスを覚え、

病を発病しそのままなくなってしまいます。

その後袁家は袁譚(えんたん)と袁尚(えんしょう)二人の兄弟が争いを開始。

この二人が争ったことで袁家の領地である河北も分裂することになります。

袁譚は袁尚に度々敗北していたことから劣勢に立たされることになり、

父を殺した敵である曹操に救援を要請します。

曹操は袁譚から救援要請を受けると軍師達に「袁譚に救援軍を送ったほうがいいと思うか」と

検討させるように命じます。

すると大半の軍師達は「袁譚へ救援軍を送るくらいなら、

南の劉表を討伐したほうがいいでしょう。」と進言。

曹操はこの意見を聞き頷いておりましたが、

たまたま目があった荀攸が発言をしたそうにしていたので彼に

「どうした公達。発言したいことでもあるのか」と発言を促します。

すると荀攸は「殿。ここは劉表討伐を後回しにしても

袁譚に援軍を送ったほうがいいでしょう。」と進言します。

曹操は「なぜ劉表討伐を行わずに袁譚へ援軍を送ったほうがいいと申すのだ」と説明を求めます。

すると荀攸は「今ここで袁尚が袁譚を滅亡させてしまうと河北は統一されることになります。

また袁譚が袁尚と和睦を行ったとしても河北は再び結束して、

殿に歯向かってくることになりましょう。

そうなれば袁家を滅ぼすのに時間と財力、兵力を使わなくてはなりません。

こうなる前に袁譚に援軍送って袁尚と争わせて、

互いに争いに疲れたところを討伐すれば、河北を手中に収めるのはたやすいでしょう。

劉表は優柔不断な人物であり、

殿が河北の袁家兄弟討伐戦を行っている最中に攻撃を仕掛けてくることはないでしょう。

もし攻撃を仕掛けてくるのであれば殿と袁紹が戦っている間に攻撃を仕掛けているはずです。

攻撃を仕掛けてこなかったと言うことは殿と戦う意思がないので行わなかったとしか考えられません。」

と劉表討伐を後にして、袁譚に援軍を送る理由を述べます。

この荀攸の意見に曹操は賛同し、袁譚に援軍を送ることにします。

その結果、袁譚は袁尚と激戦を繰り広げることになり、

両者が疲れ果てたところを狙って袁家討伐に乗り出し、

簡単に袁譚と袁尚を河北から追い出すことに成功。

そして袁紹が治めていた河北と元の領地であった中原の領地を合わせることで、

中華最大の兵力と領地を有することになります。

 

地味だが曹操を支え続けたおとなしい軍師

荀攸

 

荀攸(じゅんゆう)はこのように張繍討伐戦・呂布討伐戦・延津の対峙など、

大事な戦いが行われる時は必ず曹操軍の軍師として戦いに参加。

しかし郭嘉(かくか)や荀彧(じゅんいく)などの軍師達のように華々しい献策を行い、

人々から称賛を浴びているような軍師とは違い、

控えめで自らの功績を誇るようなことを一切しませんでした。

なぜ彼は自分の功績をアピールして、人々から称賛されるようなことをしなかったのでしょうか。

 

功績をアピールしなかった理由:曹操から警戒心を抱かれないようにするため

曹操 鶏肋

 

荀攸が自らの功績をアピールしなかった理由は、

曹操から警戒心を抱かれないようにするためでした。

曹操は政治や軍略の才能に優れている人材を発掘して採用すると、

様々な場面でその人物を活用していきます。

しかし彼は様々な場面でその優秀な人材を活用するとともに警戒心も少しずつ蓄えてしまいます。

そのため後年ですが自らの才能を他人や曹操に見せびらかして、

勝手に曹操の意中を先読みしてしまったことが原因で殺害されることになってしまった

楊修(ようしゅう)

彼のようにならないために自らの功績をアピールしないで控えめにしていることで、

曹操から警戒心を抱かれないよう努めておりました。

 

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魏の功臣として権力の中枢へ

曹操と魏軍と呉軍

 

曹操は河北統一が完了し、一気に天下統一をするべく軍を南下。

荀攸はこの時も従軍して曹操の軍師として活躍しておりますが、

赤壁の戦いで孫・劉同盟軍に敗北してことが原因で、天下統一から遠ざかってしまいます。

その後朝廷から曹操は魏公の位に就任することになると

荀攸を魏の尚書令(しょうしょれい)の位に就任させます。

こうして魏の政権内において権力の中枢を握ることになり、

魏国において重用されることになります。

 

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荀攸を大事にせよと曹丕へ進める

曹操と曹丕

 

曹操は自らの後継者を曹丕(そうひ)に決めるとある時彼を呼んで

「荀攸は家臣の手本となる人物で、お前は荀攸を尊敬して彼と接するようにせよ」と命じます。

曹丕は父・曹操からこのように言われると早速実行に移して、荀攸にいろんな事を相談します。

また荀攸が病にかかった時はすぐに彼の家へ訪ねて見舞いに訪れ、

彼の病状を心配していたそうです。

曹丕をここまで変えた地味な軍師・荀攸ですが曹操は彼に高い評価を与えておりました。

 

愚鈍に見えるが…

曹操

 

曹操はある会議が終わった時、会議に来ていた人達の前で荀攸を

「あいつは愚鈍そうに見えるが実際は全然違う。彼は表に出さないだけで内側に多くの知を有し、

臆病そうにいつもびくびくしているが、戦になるといつも一番の激戦区に乗り出して策を提案してくる。

このように素晴らしい人物であるのに奴は一切人に自分の功績を語らないところもいいところだ。

彼はかの孔子の弟子である顔回(がんかい)でも及ぶことができないであろう」と最大限の評価を

与えております。

曹操を多くの献策によって支えてきた荀攸ですが、

曹操が行った孫権討伐戦の時に病にかかってしまい亡くなってしまいます。

彼は荀攸が亡くなったことを知ると大いに悲しんだそうです。

 

三国志ライター黒田廉独り言

黒田廉

 

荀攸は自らが曹操へ献策した策の内容を一人を除いて話すことをしませんでした。

その一人とは親友としても付き合っていた鍾繇(しょうよう)です。

彼には曹操へ献策した策の内容などをよく話しており、

荀攸が亡くなったことを知ると彼の伝記を書こうと思いつきますが、

この本が完成する前に亡くなってしまいます。

もし彼の伝記本が完成して後世に伝えられていたら、

荀攸が曹操へ献策した内容が詳しく知ることができたと思うと非常に残念でなりません。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。

それじゃ~またにゃ」

 

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-はじめての魏, 執筆者:黒田廉
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