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趙雲と姜維の一騎打ち!姜維の武勇は本当に凄かったの?

2017年3月6日


 

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蜀の後半期を支えた名将・姜維は西暦202年の生まれです。

この年は河北の雄であった袁紹が死去した年です。

蜀の英雄・諸葛亮孔明が生まれたのが西暦181年のことですからふたりの年の差は20歳ほどになります。

26歳の頃の姜維は魏に仕えています。

アラサーだった諸葛亮孔明から見ると若く生き生きとした

敵国のこの若者がとても魅力的に映ったことでしょう。

現代の会社で例えるとやり手の出世頭の部長と、

将来を熱望される若手筆頭社員の出会いのようかもしれません。

姜維は大いに諸葛亮孔明を尊敬し、諸葛亮孔明は自らの後継者と期待したのではないでしょうか。

まさに運命の出会いです。

 

前回記事:姜維は北伐の失敗で衛将軍に降格したのに何で大将軍に復帰出来たの?【前半】

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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姜維の武芸

 

三国志の世界では猛将がたくさん登場してきます。

飛将と呼ばれた「呂布(りょふ)

髯将軍の「関羽(かんう)

関羽の義兄弟の「張飛(ちょうひ)

無敵のボディーガード「許褚(きょちょ)

泣く子も黙る「張遼(ちょうりょう)」などなどです。

兵を率いても超一流ですが、武将同士の一騎打ちでも無類の強さを誇りました。

それぞれに愛用の武器があり、呂布は方天画戟、関羽は青竜偃月刀、

張飛は蛇矛などで幾多の猛者たちを屠っています。

姜維はその点ではどうだったのでしょうか。

彼の武勇を示したのは蜀の名将・趙雲との一騎打ちです。

互いに槍の名手であり、姜維はなんと趙雲と互角に渡り合ったのです。

 

趙雲との一騎打ちはどこまでが真実?

 

しかしこれはあくまでも「三国志演義」でのみ語られている話です。

信憑性は薄いのかもしれません。何よりこのときの趙雲は全盛期とは言えない年齢です。

もしかしたら還暦を過ぎていたかもしれません。

バリバリの若手とベテランとはいえ老齢者の戦いですから、

それで姜維の武芸が超一流とはなかなか評価しにくいところがあります。

全盛期の趙雲と引き分けていたら、それこそ槍を使わせれば三国志最強レベルといえます。

 

関連記事:趙雲は何で新参者の馬超や黄忠や魏延よりも位が低いの?

関連記事:もし趙雲が魏に仕えていたらどうなっていた?【ろひもと理穂if考察】

 

度胸は超一流

 

武芸面はクエスチョンがつきますが、

その度胸は他の猛将に匹敵するのではないでしょうか。

大国の魏を相手に幾多もの北伐を仕掛けます。

大将ですから前線にこそ立つことはなかったでしょうが、

険路を指揮して大軍の領地に攻め寄せる勇気は並々ならぬものがあります。

最終的に姜維は反乱がばれて殺されますが、

そのとき体から取り出された肝はとてつもなく大きかったと伝わっています。

その度胸の良さは生前の諸葛亮孔明からも評価されていました。

「戦は度胸」とよく言いますが、まさに戦場で活躍する遺伝子を

受け継いできたと言っても過言ではないかと思います。

 

兵を率いる力

 

軍略にも長けていて、兵の心をよく理解していると諸葛亮孔明は姜維をベタ褒めしています。

北伐では魏の鄧艾に遅れをとることが多かった姜維ですが、

決して統率力で鄧艾に劣っていたわけではないでしょう。

兵糧の差や兵力の差、使える将の差、地の利などの面で破ることができなかったのです。

実際、守りに転じたら魏を相手に一歩も退いていません。

鄧艾(とうがい)も姜維の守る剣閣の攻略を諦めて険路越えを選択しています。

鍾会(しょうかい)も自力では剣閣は落とせませんでした。

後半の蜀において飛び抜けて軍務の才能を発揮したのはやはり姜維でした。

その才能を活かしきれなかったのが蜀の皇帝・劉禅なのです。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

ただし、大国・魏が姜維を脅威に感じていたようには思えません。

やはり諸葛亮孔明に比べると与える圧力は小さかったのです。

果たして、関羽や張飛が生きている時代に生まれていたら、姜維はどこまで活躍できたのでしょうか。

姜維には知略にも優れているという特筆すべき点がありますから、

それなりの武功をあげたのではないでしょうか。

あの人材コレクター・曹操の目にもとまったかもしれませんね。

結論・姜維の武勇はなかなかのものだったのではないだろうか。

 

皆さんはどうお考えでしょうか。

 

関連記事:木牛流馬って何?孔明の発明で輸送問題が解消し北伐で大活躍?

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ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

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