曹操から警戒されていた司馬仲達(しばちゅうたつ)。
そのため彼は中々要職に就くことができない状態でしたが、
ある事件がきっかけで出世の糸口をつかむことになります。
軍師連盟が放映される前に孔明の宿敵であった司馬仲達の出世の糸口について、
ご紹介したいと思います。
曹丕の側近になる
曹操は自らの後継者とするべく曹丕(そうひ)と曹植(そうしょく)どちらにするか思い悩み続けた結果、
曹丕を自らの後継者とします。
この時に曹操は曹丕を援護していた司馬懿を曹丕の側近に任命。
曹丕は司馬懿や呉質(ごしつ)・陳羣(ちんぐん)らを厚遇して彼らの援護に報います。
こうして王太子となった曹丕は曹操が亡くなると魏王に就任し、
後漢王朝の皇帝であった劉協(りゅうきょう)から禅譲(ぜんじょう)を受けて、
魏の初代皇帝に就任することになります。
要職を歴任する
司馬懿は曹丕が皇帝として君臨すると要職を歴任することになり、
曹操の時代とは打って変わって出世してくことになります。
その原因は曹操の後継者問題で司馬懿が曹丕を援護したことが、
出世のきっかけと言えるのではないのでしょうか。
彼は文官としての出世とともに将軍の位を授かっており、
つねにセットで官位を上げもらっております。
関連記事:【軍師連盟】司馬懿が起こしたクーデターは博打だったの?
曹丕に信頼される
王太子時代の曹丕から非常に信頼され四友(しゆう)と言われていた司馬懿。
皇帝になってからも曹丕が司馬懿に向ける信頼は一切変わりありませんでした。
曹丕の信頼を表すものとして上記のように司馬懿に軍事・政治の要職を歴任させたことや
曹丕が孫呉討伐戦や地方へ一体際彼は
「地方の尚書台には陳羣を据えておけば大丈夫だ。
また許には司馬懿を置いておけば全く心配することはない」と信頼を示しております。
これほどまでに信頼関係を築いていた曹丕と司馬懿の間には、
喧嘩や軋轢などはなかったのでしょうか。
司馬懿が止めても名士を殺害
司馬懿と陳羣(ちんぐん)は九品官人法(きゅうひんかんじんほう)が制定されると
地方の名士達や自らの出身地である名士達を魏の政権に参画させるべく推挙していきます。
司馬懿や陳羣が推挙した人物の中には、
曹操の盟友であった鮑信の息子である鮑勛(ほうくん)がおりました。
彼は誰に対しても公平に扱っており皇帝・曹丕も例外ではありませんでした。
自らの思い通りならずにズケズケとはっきりモノを言う鮑勛に嫌気がさしていた曹丕。
ついに彼は鮑勛に罪を見つけて殺害しようと試みます。
しかし鮑勛を殺害しようとすると司馬懿や陳羣らが必死に命乞いをしてきます。
だが曹丕は彼らの命乞いを却下して殺害。
信頼している間柄である曹丕と司馬懿ですが、
鮑勛殺害事件により信頼関係にヒビが入るのかと思いきや
全く信頼関係が揺らぐことはありませんでした。
その証左として曹丕は自らが亡くなる寸前に陳羣と司馬懿は呼ばれて、
自らが亡くなった後のことを頼むとお願いしており、
曹丕と司馬懿の信頼関係がかなり強い結びつきであったことが伺えるのではないのでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
もし曹操がズバット後継者問題に決着をつけていたら司馬懿は出世することなく、
低い身分のまま一生を終えていたかもしれません。
すると晋の建国の直接の原因は曹操の後継者問題にあるのでしょう。
曹操があれほど警戒していた司馬懿が後継者問題が原因となって、
魏の重鎮へと出世して晋を建国する礎を建てることになるとは、
思ってもいなかったのではないのでしょうか。
軍師連盟が三国志演義をベースとして物語を展開していくのでしょうか。
それとも三国志の正史をベースにして物語を展開するのかはわかりませんが、
司馬懿にとって上記の記事の部分は、
出世に関わることですのでぜひピックアップして取り上げてほしいとレンは考えております。
参考文献 SB晋書 三国志「その後」の真実 渡邉義浩・仙石知子著など
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