曹操(そうそう)・曹丕(そうひ)・曹叡(そうえい)の三代の君主に仕えた杜襲(としゅう)。
三国志を深く知っている方でもなかなか知っている人はいないのではないのでしょうか。
そこで今回は三国志マニアへの第一歩としてマイナー文官・杜襲が、
曹魏三代の君主に仕えてどのような活躍を行ったのか。
この点をピックアップしてご紹介していきたいと思います。
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この記事の目次
杜襲の活躍その1 曹操時代:漢中で大活躍
杜襲は曹操が許に後漢王朝の皇帝を迎えた時に仕えた文官です。
彼は曹操に仕えるた始めの頃は県長の位からスタート。
その後着実に功績を重ねていき曹操が張魯(ちょうろ)征伐を行った際、
従軍していくことになります。
曹操は張魯を降伏させて彼の領土である漢中を領有することになります。
この時に曹操は杜襲に漢中の駐屯軍の監督役を任せて帰還。
彼は占領されたばかりの漢中の民衆達を安心させることに努めた結果、
漢中の民衆達はこぞって故郷・漢中捨てて洛陽(らくよう)や鄴(ぎょう)へ移住していきます。
洛陽や鄴へ移住していった漢中の民の数はなんと8万人に及ぶ膨大な民衆の数でした。
その後劉備が漢中を攻略するために出陣。
漢中の総司令官であった夏侯淵(かこうえん)が戦死すると
漢中に駐屯していた諸将や兵士達は大混乱を起こします。
しかし杜襲・郭淮(かくわい)・張郃(ちょうこう)らが力を合わせて
漢中駐屯軍の諸将や兵士達の動揺を抑えることに努めたため、
漢中駐屯軍は瓦解することなく曹操の援軍が到着する時まで、
持ちこたえることに成功します。
民衆を統治することに秀で、諸将や兵士達の統御にまで才能を及ばせていた杜襲でした。
杜襲の活躍その2 曹丕時代:夏侯尚を優遇するのはやめなさい
杜襲は曹操が亡くなり、曹丕の時代にも活躍することになります。
曹丕は曹操から後継者として任命されてから夏侯尚(かこうしょう)と
親しく付き合っておりました。
曹丕は夏侯尚を大いに気に入り、いろいろな相談を行うほど親しい付き合いでした。
杜襲はふたりの親密な付き合い方について曹操へ
「曹丕様は夏侯尚と親しく付き合ったおりますが、
曹丕様が親しく付き合うほどの人物ではないように思われます。
ちょっと注意してもらえませんか。」と提案。
しかし曹操は曹丕に夏侯尚とあんまり親しく付き合うなと注意することはありませんでした。
曹丕はこの事を知ると杜襲を不快に思い始めますが、
杜襲の予言は当たることになるのです。
夏侯尚は側室が大好きでしたが、
彼女が亡くなってしまうと彼は彼女が亡くなったことに対するショックが大きすぎて、
腑抜けになってしまいます。
夏侯尚は側室の葬儀が終わって土に彼女の遺体を埋めた後、
土を掘り返して彼女の顔を見ていたそうです。
夏侯尚のこの様子を知った曹丕は
「杜襲が夏侯尚を嫌った理由が今はっきりとわかったわい」と述べたそうです。
曹丕の時代は活躍というよりも予見力に秀でた部分をご紹介させていただきました。
杜襲の活躍その3 曹叡時代:曹真・司馬仲達の軍師として活躍
杜襲は曹丕が亡くなると曹叡に仕えることになります。
彼は曹丕時代よりも領土の大きい侯の位を与えられて昇進することになります。
曹叡の時代蜀の諸葛孔明が度々軍勢を北上させ、
魏の領土に侵攻することを繰り返しておりました。
孔明が初めて北伐を行った際、
孔明の蜀軍を迎撃した魏軍の総司令官は曹真(そうしん)でした。
杜襲は曹真の軍師として孔明の北伐軍と戦うことになります。
曹真が亡くなると司馬懿が蜀軍迎撃軍の総司令官に就任し、
杜襲も司馬懿の軍師として活躍し的確な助言を度々していたそうです。
曹叡時代には軍事に参加して活躍していた杜襲でした。
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三国志ライター黒田レンの独り言
今回はかなりマイナーな武将である杜襲をご紹介しました。
はじさんでは有名な武将が多く出揃っているので、
レンとしては今後マイナー武将or文官列伝としてちょっとずつご紹介していく予定です。
ぜひ三国志の知識を深めていきたいとか三国志の有名じゃないマイナー武将も知りたい!!
などご興味のある方は読んで頂ければ幸いに存じます。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書4 今鷹真・井波律子著など
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