お酒に酔っ払ったり麻薬に酔っ払ったりしながら、役にも立たない老荘思想(ろうそうしそう)のわけわかんない話ばっかりして仕事もすぐやめちゃったりするしょうもないオッサン七人組。竹林七賢(ちくりんしちけん)といえば、そんなイメージですよね?
しかし、彼らは酔いたくて酔っていたわけじゃないのです。そこには涙なくして語れない、やむにやまれぬ事情が!
竹林七賢(ちくりんしちけん)のメンバー
よかミカンの偏見に満ちたメンバー紹介。合格者は5名、失格者は2名です。合格と失格の違いを見つけてね!ヒント:竹林七賢は司馬懿(しばい)が曹爽(そうそう)と仲悪くなり始めた頃から活動を開始したよ!
【合格者】
1.嵆康(けいこう)
メンバーのリーダー格。曹操(そうそう)のひ孫を妻とする。鍾会(しょうかい)が嵆康の悪口を司馬昭(しばしょう)に吹き込み、役立たず&高慢の罪状により死刑にされる。
2.阮籍(げんせき)
メンバーのリーダー格。司馬懿(しばい)や曹丕(そうひ)と仲良しな蒋済(しょうさい)からお仕事のオファーがあった時に断ろうとしたり、引き受けても病気といってすぐやめたりした。儒者(じゅしゃ)を見るとホラー映画「リング」の貞子(さだこ)みたいな目つきで露骨に嫌な顔をしたことで有名(「白眼視(はくがんし)」という言葉の語源)。
3、阮咸(げんかん)
阮籍の甥っ子
4、劉伶(りゅうれい)
お酒大好き、お酒のことしか考えてません、というポーズで乱世を乗り切った人
5、王戎(おうじゅう)
老荘の道を究めようとしていたけど竹林七賢の仲間がつぎつぎと処刑されたのでビビッてドケチ道に転換して、お金大好き、お金のことしか考えてません、というポーズで乱世を乗り切った人。
【失格者】
6、向秀(しょうしゅう)
嵆康たちがブラブラしてるのに向秀はガリ勉してたから嵆康たちにバカにされた。嵆康たちが役立たず&高慢の罪状により処刑されるとビビッて就職した。司馬昭に「君には隠者の志があると聞いていたが、なぜここにいるのかな?」とからかわれ、「隠者は気難しいだけで聖王の心に及びません。敬慕するに足りましょうか」と答えた。こりゃ竹林七賢の自己否定ですな。
7、山濤(さんとう)
司馬懿の妻・張春華(ちょうしゅんか)の甥っ子。司馬氏の派閥に属しており、嵆康を朝廷に推薦したら「與山巨源絶交書」(山巨源(さんきょげん)に与える絶交書)を突き付けられた。リーダーに絶交されるレベルの失格者。
竹林七賢の資格とは?
合格者と失格者の違い。それは、政治から徹底的に逃げたかどうかです。その政治というのは、司馬懿が曹爽と仲悪くなって、司馬氏の派閥が曹氏の派閥を一人また一人と抹殺していった時期の政治です。つまり、竹林七賢は反・司馬懿派の政治結社なのです。表向きは老荘思想の研究サークルという体裁をとっていたので、司馬懿と仲良しの山濤も老荘思想つながりで一応仲間に入れてもらっていたけれど、政治の話を持ち出したとたんにリーダーに絶交されております。
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なんで老荘思想(ろうそうしそう)なの?
司馬懿をやっつけるんなら、普通に「悪徳独裁者の一党支配にNO!
司馬氏の手から自由を取り戻そう!」って叫んでいればよさそうなもんなのに、どうして老荘思想なのか。そもそも、竹林七賢の老荘思想というのは、曹操(そうそう)が猫っかわいがりしていた何晏(かあん)という人(ナルシストで有名)が始めた老荘思想研究「玄学」がルーツです。
何晏は曹操に我が子同然にかわいがられていたもので、曹操の長男の曹丕(そうひ)とめっちゃ仲悪かったんですね。その曹丕は司馬懿と仲良しで、司馬懿は儒者だったもので、それと対立する何晏は儒者に対立する老荘思想を標榜したわけです。三国時代の儒者と老荘の争いというのは、哲学論争じゃありません。政治の争いなのです。
三国志ライター よかミカンの独り言
さて、この政治争い、結局は司馬氏一党の勝利、竹林七賢は息を潜めて世をやりすごすこととなります。阮籍の有名な詠懐詩(えいかいし)其(その)三十三にある次の詩句も、彼らの生きた時代に思いを致しながら読むと、ひとしお沁みますぜ……。
終身(しゅうしん)薄冰(はくひょう)を履(ふ)む
誰か知らん我が心の焦(こが)るるを
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