秦の始皇帝(しこうてい)は紀元前221年、中国全土を統一して秦帝国を立てました。しかし、王は居ても、皇帝という存在は知らない中国の人々に対し、自分がいかに偉いかを誇示する必要があった始皇帝は、多額の費用を使い、中国全土を巡幸して回り、その威厳を見せつけます。ところが、始皇帝の巡幸は、逆に、秦に反逆する芽を育ててしまうのでした。
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大チョンボ、顔を曝して歩いた始皇帝
始皇帝の巡幸の一番の失敗は、始皇帝が車の中から顔を見せて歩いた事です。当時の中国の人々は、500年の戦乱を治め広い中国全土を統一した人間だから、始皇帝とは、それは恐ろしい鬼のような顔をしているだろうと思っていました。ですが、実際の始皇帝は、鬼でも悪魔でもない普通の40過ぎのオッサンでした。史書には、狼のような声とか、鷹のような胸とか、色々の形容がされていますが、それは当然、誇張と言うものでしょう。始皇帝自身は、自分の顔を天下に知らしめるという自己PRだったのですが、それは全くの裏目に出てしまいました。
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始皇帝の顔を見た人たちの反応
「何が始皇帝だ、ただの太った親父じゃないか、俺達と何も変わらん」
「あんなオッサンが皇帝なら、俺だってチャンスを掴めば皇帝になれる」
秦の圧政に苦しめられていた人々は、始皇帝の容姿を見るや、拍子抜けし、これを内心ではバカにするようになったのです。
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始皇帝の行列を見た項羽のセリフ
その始皇帝の行列を少し離れている場所から眺めていた少年がいました。名前を項籍(こうせき)といい、字は羽(う)そう後に漢の高祖、劉邦(りゅうほう)と天下を争う項羽(こうう)です。祖父に楚の名将、項燕(こうえん)大将軍を持つ項羽は度胸があり、叔父の項梁(こうりょう)が、ひざまづくように促しても、中々ひれ伏しません。そして、通りすぎる始皇帝の行列を見るなり言いました。
「今は好きなだけ威張っているがいい、、いつか、この項羽が貴様に取って代わってやる」
項梁は慌てて項羽の口を抑えますが、内心、何者も恐れない甥に、項梁は底知れない将来性を見ていました。
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同じ始皇帝の行列を見た劉邦のセリフ
同じ頃、各地の任侠の徒の世話になっていた放蕩無頼の劉邦(りゅうほう)も、始皇帝の巡幸の行列に遭遇していました。物見高い劉邦は、行列が一望出来そうな小高い丘に上り、華麗な始皇帝の大行列を見て言いました。
「くーーーーっ、かっこいいじゃねえか!男として生まれたら、あんな風になりたいもんだなぁ」
何とも無邪気、項羽の咬み付くような気迫とは正反対のおおらかさです。この全てを包みこむようなおおらかさこそが、劉邦の持ち味でした。
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