よかミカンの三国志入門
三顧の礼




はじめての三国志

menu

三国志の雑学

蜀滅亡後、安楽公として余生を楽しんだ劉禅の最期と心情



 

他人の気持ちを察するのは難しいものです。

客観的に見ると「なんでそんな言動をするの?」ということも、

本人の過去や立場から見てみるとまったく異なる景色だったりします。

 

『暗愚』という烙印を背負った蜀の二代目皇帝・劉禅(りゅうぜん)は祖国の滅亡後、

どのような生活をし、どのような思いで過ごしていたのでしょうか。

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:劉禅の性格は?劉禅は暗愚な皇帝だったの?

関連記事:暗君・劉禅も名君になれた?桓公と景公を教育した宰相・晏嬰と管仲のトップ教育法を用いれば三国一のダメ君主も覇者になれた

 

 

洛陽に移される

 

蜀が魏の侵攻を受けて降伏した後、劉禅は数名の家臣と共に洛陽に移されました。

かつて董卓(とうたく)によって火を放たれ、灰燼に帰した洛陽ではありません。

魏の都として再生した洛陽の姿を初めて見て、劉禅は圧倒されたのではないでしょうか。

 

蜀漢の皇帝といえども僻地・益州の地から40年間も外に出ていないのです。

新しい世界や文化に触れて、新鮮な感動があったかもしれません。

それまでの劉禅は籠の中の鳥のような存在だったからです。

 

 

なぜ処刑されなかったのか

 

劉備は魏が皇位を簒奪したとして憎みました。

諸葛亮(しょかつりょう)もまた劉備(りゅうび)の遺志を継いで北伐を何度も敢行しています。

さらにその弟子のような存在である姜維(きょうい)も北伐を粘り強く続けました。

魏にとっても蜀は執拗に攻撃を仕掛けてくる邪魔な存在だったわけです。

蜀との戦いで命を落とした将兵もかなりの数にのぼったことでしょう。

魏からすると蜀は憎しみの対象です。

 

にもかかわらず、なぜ劉禅は処刑されなかったのでしょうか?

洛陽に移された劉禅は安楽県公に封じられ、

さらに子孫も50人ほどが諸侯に取りたてられています。

処刑されたり、罪に問われるどころか厚遇されているのです。

  はじめての三国志メモリーズ

三国志の武将に特化したデータベース「はじめての三国志メモリーズ」を開始しました

 

司馬昭の策略

 

この処置を決めたのは実権を握っていた司馬昭(しばしょう)です。

狙いは単純で、残った呉が降伏しやすい環境を整えるためでした

あれだけ魏を攻撃してきた蜀の皇帝が降伏後に優遇されているのですから、

呉が降伏したとしても酷い扱いは受けないでしょう。

それを示したかったのです。

 

実際に劉禅が安楽県に向ったという記録はありません。

まさに肩書だけです。洛陽に1万戸の領土を与えられて、

271年まで余生を楽しみました。

 

ある日、司馬昭が宴会の席で劉禅に

「蜀が懐かしくないですか?」と尋ねたそうです。

その時は蜀の音楽が奏でられ、劉禅の家臣たちは涙を流していたそうです。

 

ただ、劉禅だけは不思議と笑顔で、

「洛陽の暮らしが楽しいので、蜀のことは思い出しません」と答えたといいます。

司馬昭はこれを聞いて呆れました。

 

猜疑心の強い司馬氏を欺いたのか?

 

おそらく劉禅の素直な思いだったのでしょう。

漢王朝の復興も、政治も戦争にもともと興味がなかったのかもしれません。

だとしたら皇帝としてのプレッシャーから解放された安堵感が強かったはずです。

 

ただし子孫や家臣のためにわざと暗愚を装った可能性も否めません。

中途半端な芝居では数多くの政敵を葬ってきた司馬一族の目を欺くことは難しいでしょうから、

徹底的に危険性のない人物を演じきったのかもしれないのです。

 

三国志ライターろひもとの独り言

 

劉禅は、母親が北斗七星を飲み込んで懐妊したという伝説から阿斗(あと)と呼ばれたほどです。

自分の子孫や家臣を救うために己を殺して、暗愚を装い余生を過ごしたのであれば、

やはり三国志の中で突出した英雄のひとりに数えられるのではないでしょうか。

確かにその血脈は絶えることなく続いています。

 

65歳まで生きた劉禅。その最期にいったい何を思ったのでしょうか。

憎むべき魏は、265年にすでに滅んでいます。司馬昭の子の司馬炎(しばえん)禅譲(ぜんじょう)したためです。

司馬炎が建国した晋王朝は280年に呉を降伏させ、見事に天下を統一させました。

 

呉の最後の皇帝である孫皓(そんこう)もまた劉禅同様に洛陽に移されています。

劉禅の前例があったので、孫皓も潔く降伏できたわけです。

そう考えてみると三国志の天下統一に大きな貢献をしているのが劉禅なのかもしれませんね。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:もし趙雲が魏に仕えていたらどうなっていた?【ろひもと理穂if考察】

関連記事:どうすれば関羽を死なせずにすんだのか?三国志ライターろひもと理穂が提案

 

伝説の企画 朝まで三国志 最強の軍師は誰だ

朝まで三国志2  

ろひもと理穂

ろひもと理穂

投稿者の記事一覧

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください!

好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. 曹植は軟弱ではなかった?皇帝の弟の悲しくも華麗な生涯
  2. 三国志演義が詳細に描く諸葛孔明の病状とはどんなモノ?
  3. 銅雀台の建造記念パーティーを行う曹操 こんなに豪華!三国志演義の銅雀台の宴を再現してみるよ【前半】
  4. 幕末 魏呉蜀 書物 銭大昕ってどんな人?経学考証の手法を史学に応用した博学の人
  5. 揚州の問題児?山越族とはどんな民族だったのか
  6. 周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志 かつて日本で大流行したカリスマコメント付き三国志が存在した!
  7. 董卓はどうしてデブになったの?真面目に考察してみた
  8. 【衝撃の事実】ドラゴンブレイドは虚構ではない!二千年前に遭遇して…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

  1. 邪馬台国の卑弥呼はアイドル

おすすめ記事

  1. 合肥の英雄・張遼も曹操並の人材集めに必死だった!?
  2. 沮授はなぜか話を聞いてもらえない…主君に恵まれなかった人生
  3. 曹操にまつわる梅林の話は本当なの?梅干しが曹操軍を救う? すっぱーーーーー 許褚 ゆるキャラ
  4. 関羽も丸暗記した春秋左氏伝はどうして人気があるの?
  5. はじめての三国志 facebook はじめました。
  6. 斉藤一とはどんな人?新選組の三番隊組長の剣術や人物像に迫る 斎藤一 新選組

三國志雑学

  1. 三国志 象兵
“はじめての三国志150万PV" はじめての三国志コミュニティ総合トピック
“広告募集"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

  1. 赤鎧を身に着けた曹操
  2. 袁術

おすすめ記事

劉備も孫権も黄巾賊と変わらない!三国志の蜀の皇帝劉備と呉の皇帝孫権は魏王朝から見たら黄巾賊と同じだった!? 【はじめてのスキッパーキ】スキッパーキって、どんな犬なの?【第1話】 胡烈(これつ)とはどんな人?姜維と鍾会の夢を打ち砕いた晋の将軍【晋の将軍列伝】 曹操軍 【有料記事】三国志の軍隊のマニアックな規律を紹介 立花宗茂 立花宗茂とはどんな人?大河ドラマ希望ナンバー1武将の人気に迫る 項羽 項羽(こうう)ってどんな人?史上最強の孤独な戦術家 Part.2 蜀魏延 魏延(ぎえん)ってどんな人?裏切り者?それとも忠義の士? 前漢の外交官・張騫(ちょうけん)は大月氏と同盟を結ぶために西の国へ

おすすめ記事

  1. 【9月の見どころ】9/24公開予定:【三国志平話】高鳴る鼓動!呂布と曹豹、運命の出逢い
  2. 魯粛が孫権を煽ったから○○の戦いを決断することができた 魯粛
  3. 【シミルボン】首絞め、兜取り、不意打ち何でもありの三国志時代の一騎打ち
  4. 【週間まとめ】はじめての三国志ニュース14記事【8/1〜8/7】
  5. 楊奉が袁術から離反しなければ官渡の戦いは袁術vs袁紹になっていた!?
  6. 鉄壁の合肥城を作り上げた劉馥の一族にとんでもない奴がいた!? 合肥の戦いの満寵
  7. 三国志の武将も勉強嫌いだったけど勉強したら進化を遂げた蒋欽と呂蒙に迫る!!
  8. 【優劣対決】戦国武将小早川秀秋 VS 蜀の二代目皇帝劉禅一体どちらが優れていたのか。PART2 劉禅

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“西遊記"

“三国志人物事典"

PAGE TOP