幽州の農民から始まり、蜀の皇帝にまで上り詰めた劉備玄徳。
劉備は皇帝の一族の血筋を引いていますが、
皇帝になれたのはこの劉備の血筋が大きな原因をだったのでしょうか。
今回は劉備が皇帝になれた原因を探ってみたいと思います。
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この記事の目次
劉備はほんとうに皇族に連なる人物だったのか
そもそも劉備はほんとうに皇帝の一族の家系なのでしょうか。
劉備曰く「中山靖王劉勝の血筋を引いているんだぜ」と言っています。
この劉勝と言う人物は架空の人物ではなくれっきとした皇族に連なる人物です。
劉勝は前漢王朝の六代目皇帝・景帝の9男です。
そして劉勝は景帝から中山の王として任命され、中山の国を治めた人ですが、
その後彼の系譜は途絶えてしまったと正史三国志には記載されています。
しかし典略と言う書物には劉勝以降の系譜も存在していますが、
劉備までの系譜はありません。
そのため本当に劉備が劉勝の血筋を引いているかわかりません。
わからないので劉備の血筋を否定することも肯定することもできないのが現状です。
今後の研究でもしかしたら劉備の血筋が明らかになるかもしれません。
皇族だったから劉備は皇帝になったの??
劉備は中山靖王劉勝の血筋を引いていると仮定。
そして劉備はこの皇帝に連なる血筋のおかげで、皇帝にまでなる事が出来たのでしょうか。
結論から言うと違うと思います。
三国志の時代は皇族に連なるものでも容赦なく他の群雄にやられていく時代です。
例えば幽州の牧だった劉虞。
彼は血統書付きの皇族で彼の祖先を辿ると後漢王朝の創始者・光武帝の長男の血筋に属する人です。
しかし劉虞は公孫瓚の軍勢に敗北して討ち取られてしまいます。
更に揚州牧・劉繇も前漢王朝の高祖劉邦の息子の血筋を引いていますが、
孫策に敗北して亡くなっています。
そのため皇族の血筋を引いているからいって、実力がなければやられてしまう時代でした。
劉備が皇帝になれたのは皇族に連なる血筋だったからと言うのはあまり関係ないでしょう。
【北伐の真実に迫る】
劉備が皇帝になった理由とは一体何!?
劉備が皇帝になれた理由は二つあります。
一つは人に恵まれていた事でしょう。
劉備の部下には張飛や関羽、趙雲など勇猛果敢で忠誠心の塊のような人を従え、
兵力は少ないけど精鋭部隊を率いて各地を転戦する前半生を送っていました。
このような前半生を劉備は送っていましたが、
諸葛孔明が仲間に加わって細かい戦略や政略について
考えてくれるようになると劉備の人生が大変化。
劉備の人生を変えた一つは赤壁の戦いで曹操の大軍を退けたことでしょう。
劉備はこの戦い以降、孔明の進言に従い荊州南部を手に入れ、益州を奪うことに成功します。
そして劉備は益州を統治した後、曹操から漢中を奪う事に成功すると漢中の王を名乗ります。
漢中王を名乗った劉備は曹丕が後漢王朝を終わらせた後、蜀の皇帝として君臨することになりますが、
人に恵まれてなければ皇帝を名乗ることもできずに一群雄として終わっていたと思います。
劉備が皇帝になれた理由のは運があったから
劉備が皇帝になれた理由のその2は運があったからでしょう。
劉備はただ運が良かったのではなく、人もよりも数倍運が良かったと思います。
なぜ劉備の運が良かったと思うのか。
それは彼の前半生にあると言えます。
劉備の前半生はほとんど一地方を治めた群雄だったわけではなく、
各地の群雄の世話になりながら生きてきました。
しかも劉備は群雄が潰される前にお世話になった群雄の元を去って、違う群雄のお世話になっています。
もし劉備の運が悪ければ、世話になった群雄と一緒に滅びていたことでしょう。
この劉備は運の良さが皇帝になれた原因の一つだと思います。
しかし言い換えれば劉備には状況分析能力が超絶に長けていたと見る事もできますが、
やっぱり皇帝になった人なのでちょっと不思議な能力で説明してみました。
三国志ライター黒田レンの独り言
いかがでしたでしょうか。
今回は劉備が皇帝になった理由についてご紹介しました。
三国志の時代は血統がいいからどうのこうのというよりも、
実力で成り上がる時代だったように思われます。
劉備のライバル曹操もかなりの強運の持ち主で、
いつ殺されてもおかしくない死線を何度もくぐり抜けてきた英雄です。
また曹操の元にも一騎当千の将軍や優れた軍略家、政治家等が集まってきます。
やはり英雄と呼ばれる人々は、
尋常ではない運と英雄を支える優れた人材に支えられた人
を指すのではないのかなと考えさせられました。
【参考文献】
ちくま学芸文庫 正史三国志蜀書 井波律子訳等
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